2016年10月28日(金) 3日目
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7:30/ポンタルダントレーブ(Pontal d’Entreves)へ
2015年再オープンしたロープウェイで
○パヴィオン・ドゥ・モンフレティ展望台(標高2200m)へ
○エルブロンネル展望台(標高3466m)へ
展望台からはモンブラン山群を展望
チェルビニアへ(約92km、約1時間20分)/昼食14:30/
○チェルビニア散策
○イタリア側より、ブルー湖に映る「逆さマッターホルン」を
トリノへ(約118km、約1時間45分)17:30/ホテル着 |
トリノ泊 DIPLOMATIC
ディプロマティック |
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トリノからポンタルダントレーブ(Pontal d'Entreves)へ |
ロープウェイSKYWAY Monte Bianco(スカイウェイ・モンテ・ビアンコ) |
Funivie Monte Binaco
モンブラン(モンテ・ビアンコ)のイタリア側のふもとクールマユールからエルブロンネル展望台(標高3466m)へロープウェィの2015年5月31日に開業した。
ゴンドラが回転しながら上がっていくので360度同じ位置で景色を見ることが出来る。
◆イタリア側スタート地点:
@ポンタル・ダントレーブ( Pontal d’Entreves )標高1300mt
◆中間乗換駅:
Aパヴィオン・デュ・モンフレティ(Pavillon du Mont Frety) 標高2173 mt
◆イタリア側の最高標高終着地点:
Bエルブロンネル展望台 Punta Helbronner標高3466m
直径14メートルの円形展望テラスからモンテビアンコが眺められる。 |
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ポンタル・ダントレーブ Pontal d'Entreves |
Entreves(「川の間」を意味する)はクールマイヨールの北4キロ圏内にある趣のある村で、牧草地に囲まれた伝統的な石造りの邸宅や農場の建物が数多くあります。引用元
”ENTREVES”はラテン語で”Inter aquas”(水=川の間)、水(川)の合流点を意味する。また、Valle d'Aostaの方言で”eve”は”aqua”’(水)を意味する。引用元 |
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SKY WAY ロープウェイからの景色 |
SKY WAY乗り場 |
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SKYWAYの始発場所で1300m |
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回転式ゴンドラ |
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パヴィオン・デュ・モンフレティ(Pavillon du Mont Frety) 標高2172m |
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エルブロンネル展望台 Punta Helbronner標高3462m |
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@Aiguille de Rochefort 4001m
ADente del Gigante 4013m
BGrrande Jorasses 4208m
CCervino(Matterhorn)3559m
DGrand Combin 4314m
EMonre Rosa 4634m |
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ディノ・ローラ・トッティーノがエドアルド・アネッリのセストリエーレ(トリノ南西部のスキーリゾート)開発に感謝するという内容らしい。 |
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ディノ・ローラ・トッティーノDINO LORA TOTINO(1900-1980)
イタリア人建築技師でシャモニイからエギュミディへのロープウェィ建設行った。このロープウェィは当時は不可能と言われたが、2名の犠牲者を出しながら、1955年に完成した。その他、彼はモンブラン・トンネル、マッターホルン・ロープウェィなどの建設も行った。
エドアルド・アネッリEDOARDO AGNELLI(Giovanni Agnelli 1866 - 1945)
フィアット創業者のジョヴァンニ・アニェッリと同一人物だろう。彼は1930年にセストリエーレを購入し、リゾート開発を進め、、近くの山にケーブルカーを建設させた。ディノ・ローラはエドアルドから依頼を受けてセストリエーレのケーブルカー建設を行ったのではないか。(イタリア語なのでよく分からない・・・。) |
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エルブロンネル展望台のカフェ |
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ポンタルダントレーブからチェルビニアへ |
チェルビニアCervinia
イタリア北西部、バッレダオスタ自治州の町。
マッターホルンの山麓、標高2000メートル以上に位置する。
イタリア屈指の山岳リゾートとして知られ、モンテチェルビノ(マッターホルン)山頂を挟んでスイスのツェルマットと接し、国境を越えてスキー客が多い |
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クラテッロとチーズのクレープ
Crepe with ham and cheese. |
昼食のレストラン Al Solito Posto |
平べったいのはポレンタというもの |
ポレンタ (polenta)
コーンミールを粥状に煮たイタリア料理である。粗挽きのトウモロコシ(Maize)の粉を、沸騰した湯やだし汁に振り入れて煮ていき、鍋の底に焦げ付かないように捏ねながら煮上げる。 小麦の生産に不適な北イタリアの寒冷な山岳地帯で主食とされてきた。原型は古代ローマの粥「プルス」(puls)または「プルメントゥム」(pulmentum)で、元来はファッロ(farro、コムギ類)や黍を粗挽きにしたものやクリの実の粉を主な材料としたが、15世紀のヨーロッパ人のアメリカ大陸到着後、イタリアに生産性の高いトウモロコシが持ち込まれて普及した結果、材料が置き換わった。始めは農民の食事だったが、のちに一般に好まれる料理になった。
引用;フリー百科事典Wikipedia【詳細】
クラテッロ (culatello di Zibello)
パルマ県特産の豚肉を塩蔵した食品である。尻部のみを使用し、ポー川西岸のみジベッロ周辺8村のみで作られる。使用する豚は、エミリア=ロマーニャ州およびロンバルディア州で、別途規定された方法で育てられたものである必要がある。
引用;フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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チェルビーノ(マッターホルン) |
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土産物屋の黒猫 |
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クリスマスの飾り付けが始まっています |
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Guido Monzino |
マイク・ボンジョルノ(MIKE BONGIORNO)の銅像
イタリアの有名な司会者でマッターホルンに登頂した
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グイード・モンツィーノGuido Monzino
ミラノで生まれたがモルトラージオ、コモ湖で幼少期を過ごした。1970年犬ぞりで北極点に到達し、イタリア国旗を立てた。
マイク・ボンジョルノ
1924年5月26日ニューヨーク生まれ。本名のフルネームは、Michael Nicholas Salvatore Bongiorno.
中学・高校は、母の故郷トリノで通う。第二次大戦中はパルチザンとなり活躍。
1946年アメリカに戻り、ジャーナリストをはじめ、日刊紙 'Progreso Italoamericano' のラジオ局で働く。
1953年イタリアに戻り、移民のことを調べるが、Rai のVittorio Veltroni にスカウトされる。
1954年イタリアのテレビにデビュー。
2009年 85才で死亡。 |
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ブル湖 Lago Bluからのチェルビーノ
湖というより池ですね |
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チェルマットからのマッターホルン
2006年8月撮影 |
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ブル湖からの逆さマッターホルン、ブル湖というのは池くらいの大きさです。 |
ブル湖の位置(Google Mapより) |
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トリノへ向かいます |
チェルビニアからトリノへ |
まだ、寝るには早いのでホテルの周辺散歩してみました。 |
フレジュストンネル記念碑 スタトゥート広場
Monumento al Traforo del Cenisio-Frejus |
フレジュストンネルはイタリア、フランス国境のフレジュス峠を貫くトンネルである。
この記念碑は1879年にスタトゥート広場にルイージ・ベッリ(Luigi Belli Belli)によって作られた。石のピラミッドは、光り輝く大理石の中にタイタンの体を表現し、ピラミッドの頂上には科学の翼を持つ天才を表現している。
このトンネラルはトリノからシャンベリを経由しリヨンまたはパリ方面に至る鉄道路線でイタリア側の入口はピエモンテ州トリノ県のバルドネッキア、フランス側はローヌ=アルプ地域圏サヴォワ県のモダーヌ(Modane)である。.
1871年に開通したアルプスを貫く最初のトンネルである。開通時の全長は12,220mあり、これは1882年にゴッタルド鉄道トンネルが開通するまで世界最長であった。また1980年に並行してフレジュス道路トンネルが開通している。
1860年まで、アルプス山脈を隔てたピエモンテとサヴォイアはともにサルデーニャ王国の領土であった。首都トリノとサヴォイア家発祥の地であるシャンベリを結ぶ交通路は王国にとって重要なものであった。
引用;フリー百科事典Wikipedia【詳細】 |
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