幻想の国エキゾチックモロッコ10日間
2019年3月21日(木) 2日目
 前へ ホーム  次へ
 
〇スケジュール
4:50/ドバイ着。
ドバイでの乗り継ぎ時間は2時間35分の予定。
7:25/ドバイ発、エミレーツ航空【ビジネスクラス】にてカサブランカへ。
◆ドバイからカサブランカへの飛行時間は8時間20分の予定。
◆機材はA380予定。
13:50/カサブランカ着。
着後、カサブランカ観光<約1時間>
○ハッサン2世モスク
○モハメド5世広場にご案内します。
光後、モロッコの首都ラバトへ。
(約90km/約1時間30分)
17:30/ホテル着。
<総走行距離:約90km> 
 ドバイ国際空港が以前来た時より広くなっている。
動く道路もあるが、歩くのがしんどい。

関空にもあるが、広くて設備が多い

キャンディー屋さん
 
 乗り継ぎまで1時間半、ゲートまでかなり歩く、一服する時間なし

シャワー室?

カサブランカ向けEK0751 A380−800
 便名 機種  ドバイDXB  サブランカCMN 飛行時間
 EK751  A380 07:25   13:50  9時間50分
 

ドバイ空港駐機中のA380−800、EK751便

モニター画面
  ドバイからカサブランカも同じA380だが、リクライングのスイッチ、電源コンセントの位置が違う

モニター画面

トイレの窓から

EK751朝食 
 
EK751昼食、ちょっとお粗末・・
あんまりおいしくなかった
 EK751ファーストクラス
カサブランカ国際空港 
 
ロイヤル・エア・モロッコRoyal Air Maroc,

 入国審査場のモニュメント

入国審査待ち
機内で入国カードくれなかったので添乗員さんにもらって記入

 モロッコ・テレコムのブース
 
INWIのブース、格安携帯電話会社らしい
日本からSIMフリーのスマホを持参して、モロッコでプリペイドSIMを購入予定だった。
設定してもらう時間がないので、モロッコテレコムとINWI無料のSIMをもらった。 
設定試みたがだめ、電波を受信しているが、インターネットに接続できない。
説明書がないので設定できない、あきらめた。

空港正面、椰子の木があって南国の雰囲気
 
到着はターミナル1
 
 カサブランカ(Casablanca)アラビア語ではダールアルバイダー
モロッコ王国最大の都市。モロッコの商業・金融の中心地で、アフリカ有数の世界都市でもある。
港湾も経済を支える重要な要素で、リン鉱石が最大の輸出品。漁業・魚缶詰も盛んである。
またスペイン語で「白い家」という意味がある。
人口は415万人(2013年)でモロッコ最大。モロッコの商業・金融の中心地であると共に観光地でもあり、多くの人々が訪れる。
第2次次世界大戦後の1956年にモロッコがフランスから独立し、フランスはカサブランカから撤退した。
その後カサブランカはモロッコ最大の都市として繁栄し、世界各国から観光客が訪れ、モロッコの経済の中心地の地位を占めている。
カサブランカは1946年日本公開のハンフリー・ボガートと、イングリッド・バーグマン主演の「カサブランカ」が有名、
フランス領時代のカサブランカが舞台になっている。
引用;Wikipediaより

モハメド5世広場
 
水売り。皮の袋に水を入れている
水売りはパフォーマンスで実際は売っていない。写真を撮るとチップを請求される。 
モハメド5世:ムハンマド5世(1909 - 1961)
モロッコのスルターン(在位:1927 - 1953、1955 - 1957)及び国王(在位:1957 - 1961)。モハメド5世とも表記される。
フランスから独立を勝ち取ったモロッコの国民的英雄である。
スルターン・ユースフ・ベン・ハサンの末子として生まれる。
1927年、父の死により即位。第二次世界大戦後、激化するフランスからの独立運動を指導したため、
1953年にフランスによって廃位された。
フランスのインドシナ戦争の敗戦もあり、1955年に復位して翌年に独立を達成した。
1957年にモロッコの君主号をスルターンから国王に変更した。
1961年に崩御、王太子が即位してハサン2世となった。
ラバトのムハンマド5世大学、カサブランカのムハンマド5世国際空港はムハンマド5世にちなんでそれぞれ命名された。
引用;Wikipediaより
 
ムハンマド5世広場 カサブランカ 2019/03/21 - Spherical Image - RICOH THETA

カサブランカ市庁舎

広場の向かいに建築中のGrand Theatre De Casablanca
総予算172.8億円、完成は2019年5月予定

中欧郵便局 
 

トラムは新しい
ハッサン2世モスク
先代国王ハッサン2世が、1986年から8年かけて作ったモロッコ世界最大(世界では3番目)のモスク。
200メートルの高さを誇るミナレット(尖塔)が目立つ特徴。
モスクの礼拝堂には約2万5000人収容することができる。 
地下には、トイレ、清める部屋(イスラム教の礼拝はお祈りする前に水で手足等を清める)やハマムなどがある。
異教徒がモスクに入るのは一般的には禁じられているが、モロッコでは唯一ハッサン2世モスクだけは見学が許されている。
2015年には映画「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」のロケ地として使われている。
 
モハメド2世モスク
 
ミナレット
 
上記同じ場所の360度画像 
Moscuee Hassan U Casablanca 21 Mar. 2019 - Spherical Image - RICOH THETA
 
モスク地下のトイレと足洗い場
 
モスクの入り口
   
 
3つの玉は現世・来世・神の世を表す
 
ハッサン2世モスク カサブランカ 2019/03/21 - Spherical Image - RICOH THETA
 
 
海のモスクと言うとおり、すぐ向こうは大西洋です
ハサン2世(1929 ? 1999)
モロッコの国王(在位:1961 ? 1999)。ハッサン2世とも表記される。
かつて発行されていた複数のモロッコ・ディルハム紙幣に肖像が使用されていた。 
スルターン・ムハンマド5世の長男に生まれる。
1953年8月20日にムハンマド5世がフランスによって廃されると、父と共にコルシカ島に送られ、1954年にはマダガスカルに移された。
その間父王の政治的顧問として行動した。
モロッコ独立派に対してフランスの態度が軟化すると、スルターン一家は1955年11月16日に帰国を果たした。
1956年2月、ムハンマド5世のフランスとのモロッコ独立交渉に同行、その後1956年4月にはモロッコ軍の幕僚長に任命される。
同年のリーフでの反仏闘争ではベルベル人軍隊を指揮した。
1957年にムハンマド5世はモロッコの君主号をスルターンから国王に変更し、7月には正式にハサンを王太子と宣言。
父ムハンマド5世の崩御を受けて、1961年3月3日にモロッコ国王に即位した。
引用;Wikipediaより
 カサブランカ市内
 
門の向こうがメディナ(旧市街)
 
 
明日が金曜日でイスラムの休日、公共施設は休みになる可能性があるため
予定を繰り上げラバトの観光となった。
 
モハメド5世霊廟の向かいに建築中の
ラバト大劇場 Grand theatre de Rabat
ラバト大劇場は2019年初頭にオープン予定(2019年3月の旅行時点では未完成)。
ヘリテージハウス、ハウスオブミュージックアンドパフォーミングアーツ、および考古学博物館も含む文化施設となる。 
 
モハメド5世霊廟(ラバト)  
 
 
  
モハメド5世霊廟 ラバト(モロッコ)2019/03/21 - Spherical Image - RICOH THETA
 
ハッサンの塔(Tour Hassan) 未完のミナレット
ムハンマド5世廟に隣接する。高さ44メートル。
12世紀末、ムワッヒド朝のヤークーブ=アル=マンスールが、
モスクとともに当時世界で最も高いミナレットの建造を試みたが、彼の死によって工事は中断した
 ホテル到着、ラバト・マジリッスMAJILISS RABAT
ラバト・ヴィル駅の横(駅は現在、改造中)
 
ホテル正面
 
ホテルロビー、ちょっと疲れた
 ミントティーのサービス  
 
夕食はバイキング、スープはもうひとつ(塩気が少ない)
 
スープをサーブするコックさん、いなくてもいんですが・・
今日はこれで終了
 前へ ホーム  次へ