2018年6月8日(金)3日目
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9:00/ ギマランイスへ。(約60km/約1時間)
○ギマランイス散策<約30分>
 初代ポルトガル国王が生まれた町
〇観光後、 北スペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへ。(約215km/約2時間30分)
○歓喜の丘
 途中、巡礼中、初めてカテドラルの尖塔をみることができる場所に立ち寄り。
 16:00~17:30頃/スペイン独自国営ホテル”パラドール”
【バス総走行距離:約275KM】
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今日は晴れた。出発までに時間があるのでホテルの近くのスーパーに行ってみた。 

スーパーの向かいにある豪邸

いわしの缶詰たくさん売ってました

棒だら、バカラウ(イタリア語と同じ)

魚売り場
 

クラウン・プラザホテル

ギマランイスに向け出発

ポルトからギマランイス
ギマランイス(Guimaraes)
ギマランイスの名前は、868年に最初のポルトゥカーレ伯領を築いたヴィマラ・ペレス(Vimara Peres)伯爵の名前に由来する。住民呼称は vimaranense
引用;Wikipediaより
まだポルトガルが存在しなかった頃、レオン王国では、ポルトを本拠地とする地域を治めた支配者のことを「ポルトゥカーレ伯」と呼んでいた。


アフォンソ1世像
アフォンソ1世(Afonso I, 1109 - 1185)
ポルトガル王国を建国したブルゴーニュ王朝(ボルゴーニャ王朝)の初代ポルトガル王(在位:1139 - 1185)。
「エンリケの子」を意味するアフォンソ・エンリケス(Afonso Henriques)の名前でも呼ばれる。 
引用;Wikipediaより

ブラガンサ侯爵館
ブラガンサ家は、アヴィス王朝の初代ジョアン1世の庶子アフォンソ(1377 - 1461)に始まるアヴィス家の庶流の分家である。
アフォンソはジョアン1世の孫アフォンソ5世の時代にブラガンサ公に叙せられ、以後その子孫により公位が継承された。 
ブラガンサ王朝は、1640年から1910年までポルトガル王国を統治したポルトガル最後の王朝。ブラジル帝国(1822 - 1899)の2人の皇帝も出している。
引用;Wikipediaより
 
ギマランイス地図

サン・ミゲル教会
ミゲルは聖書に登場する天使ミカエルのこと
引用;Wikipediaより
サン・ミゲル教会
アフォンソ・エンリケスが洗礼を受けた教会。
ギマランイス城の下にあり、12世紀に建立されたロマネスク建築の建物で、一度壊れたため、20世紀になって再建された 
引用;Wikipediaより
ギマランイス城
第3代ポルトゥカーレ伯ヘルメネギルド・ゴンサレスの寡婦として政務を引き継いでいた夫人ムマドナ・ディアスは、950年と951年に受けた天啓に従ってこの地に修道院を設立したが、ヴァイキングの襲撃から町と施設を護るべく、959年にギマランイス城を築いた。
1109年にはポルトガルに栄光をもたらすアフォンソ・エンリケス(アフォンソ1世)がこの城で生まれている。
28mの高さの塔を持つ。
i引用;Wikipediaより

santoantóniodos capuchos カプチョス女子修道院

Igreja Nossa Senhora do Carmoカルモ聖母教会
 
おそろいの帽子の団体さん、どこの国も変わらない光景です
オリベイラ広場 

オリベイラ広場

この教会は「オリーブの樹」の聖母教会とも言われる。

ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会
Ig. N. Sra. da Oliveira
 
アーチ
 
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会 ポルトガルのギマランイス Igreja da oliveira guimares portugal June 8 2018 - Spherical Image - RICOH THETA
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会Nossa Senhora da Oliveira オリ-ブの木の聖母教会
ロマネスク建築とゴシック建築が融合した教会であり、教会前のアーチは1340年に起こったレコンキスタ戦争であるサラードの戦いの戦勝を記念して1342年にロマネスク様式で建てられた。
外部構造物は14世紀から15世紀にかけての間にゴシック様式で改築されたが、聖堂内部は初期の様式を留めている。
引用;Wikipediaより 
イスラム軍を破ったサラード川の戦いの勝利を記念して15世紀に建造。ロマネスク様式とゴシック様式が混在する。名称はポルトガル語でオリーブの木の聖母教会を意味し、教会前のアーチが完成したと同時にオリーブの木が突然芽吹いたという伝説に由来する。教会がある旧市街にはギマランイス城、ブラガンサ公爵館をはじめ中世の歴史的建造物が多く、2001年に「ギマランイス歴史地区」として世界遺産(文化遺産)に登録された.。
引用:デジタル大辞泉
 オリベイラ広場360度画像
Largo da Oliveira Guimarares portugal オリベイラ広場 ギラマンイス June 8 2018 - Spherical Image - RICOH THETA
 ノッサ・セニョーラ・オリベイラ教会360度画像
ノッサ・セニョーラ・オリベイラ教会 Ig. N. Srs. da Oliveira June 8 2018 - Spherical Image - RICOH THETA

「ここにポルトガル誕生す」トウラル広場
Aqui Nasceu Portugal

実習中の学生さん
 今日の昼食はBUXAというレストランです

レストラン BUXA

昼食のレストラン

パンがおいしい

スープ

メインのポーク、わりといける味
ちょっと肉の量が多い、しかし添乗員さんの話では
日本人向けに少なめにしているが、これ以上減らすとけちって
いるようで減らせないとのこと

野菜サラダ、少しドレッシングがかかっている
添乗員さんが日本からドレッシングを持参し、
サービスしてくれました

市役所
 
トウラル広場Largo do Toural 正面がサン・ペドロ教会

サン・ペドロ教会
St. Peter's Basilica, Guimaraes
サン・ペドロ教会内部360度画像 
サン・ペドロ教会 Basillica de St.Pedro GUIMARES PORTUGAL JUNE 8 2018 - Spherical Image - RICOH THETA

ブラジル共和国公園
Largo República do Brasil

慰めと聖なる階段を巡る聖母教会
Igreja de Nossa Senhora da
Consolação e Santos Passos
 ギラマンイスを離れてサンティアゴデコンポステーラへ、今度はスペインへ
時差が1時間あり、時計を1時間進めます。
 
ギマランイスからサンティアゴ・デ・コンポステーラ
サービスエリアでトイレ休憩、パエリアがあるのでスペインに入ったのでしょう 
 歓喜の丘に向かいましたが、雨がひどく明日に変更

雨で煙っています。ほとんど見えません。また、明日に・・・ 
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)※日本語に訳すと「星の野原の聖ヤコブ」
 旧市街は1985年にUNESCO世界遺産に登録されており、また、エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつでもあり、世界遺産に登録されているサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の終着地でもある。
 聖ヤコブはガリラヤ湖の漁師で、弟のヨハネと共にイエス・キリストに従った。エルサレムに帰還後、ヘロデ・アグリッパ1世によって断首され十二使徒のうち最後の殉教者となった。その遺体を弟子が船に乗せ海を果てしなくさまよった末に本市付近に辿り着き、埋葬したのが紀元1世紀半のことであった。これが聖地の起源であるといわれている。そうしてこの墓が再発見されたのは、伝説では、9世紀に星に導かれた羊飼いがこの地で聖ヤコブの墓を発見し、遺骨を祭った聖堂が建てられ、そこに教会が作られた。これがサンティアゴ・デ・コンポステーラの町の起源とされ、町の名はラテン語の「Campus stellae」(星の野)あるいは「Compositum」(墓場)にちなんで名付けられたと言われる
 巡礼の街道では巡礼者は、その証明に帆立貝の殻を荷物にぶら下げる。途中、教会などが宿泊を提供してくれる。
引用;Wikipediaより 
大聖堂内部360度画像
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂 Cathedral Santiago de Compostela June 8 2018 - Spherical Image - RICOH THETA

雨の大聖堂

市役所、大聖堂の正面向かい側
前の広場がオブラロイド広場
 
google mapでみるとこんなようです

とてもホテルとは思えない

パラドール デ サンティアゴ - オスタル レイス カトリコス
(Parador de Santiago - Hostal Reis Catolicos) 

パラドールのロビー
部屋の割り当てまで一服

中庭があります、この回廊を通ってフロントやレストランに行く
冬はちょっと寒いのでは
 『国営ホテル』は、スペインでは『パラドール』、ポルトガルでは『ポサーダ』と呼ばれる。
 パラドール レイエスカタリコスParador Los Reyes Catolicos Hotel
このホテルはサンティアゴ巡礼の途中で病気になった巡礼者を収容するために1499年に王立病院として建てられた。 世界で最も古いホテルであり、博物館としても使われ、内部には、4つの美しい回廊、エレガントな客室、ガリシア風の豪華なダイニングルームなどがある
夕食は8時からなので、周辺を案内してくれた。 
 

アラメダ公園、ど派手な若い二人組の女性像

アラメダ公園から大聖堂を望む
二人のマリア像
スペインのフランコ独裁政権の時代、政治的見解が左翼寄りであるとして迫害されたこの姉妹は、派手な服装で毎日午後 にこの公園を散歩していた。派手な服装で人目を引く行為は、当時のスペイン社会の保守的抑圧に対する反抗として今も語り継がれている。  

マンホールの蓋にもホタテ貝のマーク
夕食までに時間があるので「ボタフメイロ」が見ることが出来るので大聖堂に出かけた。ボタフメイロはミサの後で行われるが、不定期でいつやるか決まっていない。さすがに添乗員さんはベテランすぐに情報を調べてくれました。
ボタフメイロ(botafumeiro)
サンティアゴ・デ・コンポステーラにあるサンティアゴ巡礼路の目的地である大聖堂に存在する著名な巨大振り香炉。
この香炉は焚いた香を入れた後、聖堂内を振り子のように振る儀式に使われている。
「ボタフメイロ」とはガリシア語で「煙を吐き出すもの」を意味している。
引用;Wikipediaより

大聖堂の入り口前のキンターナ広場

大聖堂入り口
ミサが終わりましたが、なkなかボタフメイロが始まりません。
夕食時間に間に合わないので途中で大聖堂を出ました。
明日の朝もあるとの添乗員さんの情報でした。
 夕食はパラドールのレストランで

地下一階のレストラン

前菜

ビール クルスカンポ(スペイン語の"Z"は"S"の発音)

エビとホタテ貝

メインの魚

デザート

コーヒーカップにホテルのロゴマーク

添乗員さんから「タンタン・サービス」(?よく聞き取れなかった)というのがこのパラドールではある。寝る前に部屋のベッドの横の床に靴をおく敷物を置くのとベッドシーツの端を折りあげるサービスとのこと。希望しないなら、夕食で部屋を出るとき「Don't Disturb」のタグを部屋のノブにかけて置いてくださいと言われた。
レストランから部屋まで
 
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