スペイン10日間 2012
2012年6月25日〜7月4日
 
2012年6月28日(木) 4日目
今日はグラナダのアルハンブラ宮殿の見学に向かう。
 
527 km、5 時間 21 分
途中で休憩したドライブインで 

La Murtena 8.5ユーロ
お菓子らしいが・・・

オリーブオイルシャンプー

ドライブインの駐車場に居たネコ

乗ってきた観光バス
アルハンブラ宮殿に行く前に昼食となった。 

なんのスープだったかな?
 
イカの墨煮
今回の添乗員さんメニューのまとめをくれなかった。(少し勉強不足の添乗員さんでした・・・) 
 
 
グラナダ(Granada)
 スペイン南部の都市。アンダルシア州グラナダ県の県都である。
かつてはイベリア半島最後のイスラム王朝ナスル朝グラナダ王国の都であり、壮麗なアルハンブラ宮殿が有名である。
シエラネバダ山脈が抱える「ベガ」と呼ばれる肥沃な平野を基盤にして栄えた。
【フリー百科事典Wikipediaより引用】【詳細
 アルハンブラ宮殿(スペイン語: Alhambra アランブラ)
 スペインのアンダルシア州グラナダ県グラナダ市南東の丘の上に位置する。
ウマの背のような形をした丘は頂上部が長さ 740 m 、幅 205 m にわたって平坦になっており、夏場非常に暑いと言われるグラナダの中でもとても涼しい場所に位置している。
宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていた。
その大部分はイベリア半島最後のムスリム政権・ナスル朝の時代に建設された。
アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味するアル=カルア・アル=ハムラー と呼ばれていたものが、スペイン語において転訛したものである。
この名称の由来については、城塞周辺の土地の土壌が赤いため、あるいは建築に使われた煉瓦の色であるとか、宮殿が赤い漆喰で覆われていたからなど諸説あるが、イブン・アルハティブは、アルハンブラ宮殿増築の時、夜を通してかがり火を燃やして工事したためグラナダ平野から見上げた宮殿は赤く染まって見えたことからこのように呼ばれたという説を唱え、これが一般的な説として通用している。
【フリー百科事典Wikipediaより引用】【詳細】 

ヘネラリフェGeneralife 入り口
 
 
ヘネラリフェGeneralife
アラビア語で天の楽園という意味だそうです
 ヘネラリフェ(スペイン語:Generalife)とは、スペイン・グラナダにあるイスラーム建築である。
ムハンマド3世(1302年-1309年)の時代に建設された。
ナスル朝時代の夏の別荘であった。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA 詳細
 
ヘネラリフェからアルハンブラ宮殿を望む。
 
とんがり帽子に見える木はイタリアン・サイプレス(イトスギ)
地中海沿岸から西アジアにかけて分布する木で古代ギリシャ、ローマで古くから観賞用に栽培されている。
ゴッホの絵にも描かれている。

アベンセラヘスの宮殿跡

サンフランシスコ修道院

サンタマリア教会
 
カルロス5世宮殿

カルロス5世宮殿正面 
 
資金不足で途中で建設中止し、屋根がない。現在はコンサートホールに使っている
カルロス5世(英語読みはチャールス)はカトリック両王の孫になる。
新婚旅行でアルハンブラ宮殿に来たとき、この建設を命じた。
建設資金はモーロ人(ムーア人)から徴収することになっていたが、彼らを追放したために資金不足となり建設中断となった。
コルドバのメスキータにカテドラルを増築した王様でもある。
 
ナスル朝宮殿外観図
地図を見るとカルロス5世宮殿をとんでもないところに建設したのかよく分かる
 カトリック両王
 カトリック両王(スペイン語:Reyes Catolicos, 英語:Catholic Monarchs)は、歴史的にアラゴン王フェルナンド2世(Fernando el Catolico)とカスティーリャ女王イサベル1世(Isabel la Catolica)を指す。
彼らは1469年に結婚し、後に彼らの子孫の下で同君連合国家としてのスペイン王国が成立する。
カトリック王の称号はローマ教皇アレクサンデル6世によって授けられた。
両王の統治時代はレコンキスタの末期であり、また2人が出資したクリストファー・コロンブスの西半球、新世界の発見により、その統治は更に強固になった。
スペインはローマ・カトリックの保護者となり、カトリックの護持のために対抗改革や、植民地の先住民に対する布教などの主導者となった。
国内的にはイスラム教徒やユダヤ教徒に対する弾圧を行ったため、現在ではスペイン・イスラーム文明の豊かな資本を破壊し、その後の新大陸での蛮行や、スペイン没落に通ずる道を開いたのだと批判する学者もいる。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA

@ぶどう酒の門Puerta de Vino、右手にアルカサバ
門の内部に免税のぶどう酒市場があったためという説が一般的

A宮殿の入り口
 
アルカサバALKAZABA(砦。城砦)
アラビア語では城塞をカスバと呼んだ。
アルジェリアなどでは城壁に囲まれた迷路のような旧市街がカスバと呼ばれたほか、スペインではイスラム教徒の残した城塞(カスバ)をアルカサバ(Al Cazaba:"Al"はアラビア語の定冠詞)と呼んだ。
アルカサバはバダホスに最大のものがあるほか、グラナダのアルハンブラ宮殿の一部やマラガ、メリダにもアルカサバは残っている。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
ナスル朝宮殿へ 

Bメスアールの中庭
壁面はスコッタと呼ばれる漆喰で造られたアラベスク文様で埋め尽くされている。 
 コマレス宮

Cアラヤネスの中庭(Patio de los Arryanes)とDコマレスの塔
アラヤネスは池の両脇の生け垣の植物の名前
日本語では『天人花』”てんにんか”という 
 
コマレスの塔から

 スペインの国章『ヘラクレスの柱』
巻き付いている帯にはラテン語でPLVS VLTREと書かれている。
「より彼方へ」という意味。
新大陸発見後にこう書かれるようになった


アラベスク文様 
 
当時の天井の彩色が一部残っている

コマレスの塔の対面の部屋、左右に扉

扉の細工
 左の画像の拡大
寄せ木細工

E大使の間、大使が外国要人と謁見する場所

壁の紋様

大使の間の出窓
 
大使の間の天井

F2姉妹の間

天井を覆う、鍾乳石様の装飾を『モカラベ 』という
8角形の天井が特徴になっている
2姉妹の部屋は王妃の部屋として使われていた。
この部屋の名前の由来は囚われのソライダとリンダラハの2姉妹の伝説に由来する。(どんな伝説なのか分からない??)
この部屋の出窓から2人は中庭を見下ろしていた。
この中庭をリンダラハの中庭という。
部屋の天井のモカラベはムカルナス(小さな尖った窪みを層状に繰り返す形式)を数千個組み合わせている。
まるで鍾乳洞のようだ。
2姉妹の部屋の由来は部屋の中央の二枚の白い大理石をこう呼んだからだそうだ。

リンダラハのバルコニー(修復中)
上部にはステンドグラス
 
GリンダラハLindarajaの中庭
噴水を中心に庭木が幾何模様に配置されている 
リンダラハのバルコニーからこの庭が見える
 ドビッシーが『リンダラハ』というピアノ二重奏を作曲している。
ドビッシーがアルハンブラ宮殿に触発されて作曲したとされている。
タイトルの『リンダラハ』とはムーア人の娼婦の名前であるといわれている。(引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》)
 

Cuentos de La Alhambrawaアルハンブラ物語
ワシントン・アービングが滞在したという標識が壁に掛けてある
Hワシントン・アービングが『アルハンブラ物語』を執筆した部屋 
 

 Iバルコニーから アルバイシン地区を望む
 
アルバイシン地区の町並み
 ライオン宮Leones

ライオンの中庭Patio de los Leones(修復中)
 
どうも犬のように見えるがライオンらしい、全部で12頭
ライオンの庭の南側にあるアベンセラッヘスの間で15世紀に最大勢力のアベンセラッヘス家の36人が、反対派の讒言(王の愛妾との密通)を信じた最後の王の命令で皆殺しにされた。
殺された人の血がライオンの噴水を通じて中庭にまで広がったという話が伝わっている。
 
アルハンブラ宮殿動画
 アルハンブラ宮殿で思い出すのがあの有名なギターの名曲、『アルハンブラの思い出』

村治佳織さん演奏の『アルハンブラの思い出』
ギター独奏曲《アルハンブラの思い出(西語:Recuerdos de la Alhambra)》は、スペインの作曲家・ギタリストのフランシスコ・タレガによる性格的小品。
原語の発音に近い「アランブラの思い出」という表記も多い。
高度な演奏テクニックであるトレモロ奏法を活用した曲としても名高く、右手の薬指、中指、人差し指で一つの弦を繰り返しすばやく弾くことによりメロディを奏する。
親指はバス声部と伴奏の分散和音を担当する。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA
夜、洞窟フラメンコと夜間照明のアルハンブラ宮殿見物ツアーにでかけた。
予定のオプションは人数が集まらず中止。
ツアー参加者の1人はすでに日本語センターで予約をとっていた。
どうしようかと思っていたら運転手さんが斡旋してくれた。(案内もしてくれた。当然リベートはとっているはず)
時間があまりないのでホテルの向かいのレストランで夕食をとった。
サラダを注文したが、やたら量が多い。日本と比べると3人前くらいある。
食事を終えてホテルで待っていると迎えのマイクロバスが来た。
 
フラメンコの入場券

左側が洞窟レストランになっている(防空壕ですな・・・)
 
レストランから見た夜のアルハンブラ宮殿
 
洞窟フラメンコ(1)
 
洞窟フラメンコ(2)
 
洞窟フラメンコ(3)
フラメンコ(flamenco)
、スペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となっている。
フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしている。
さらにさかのぼると、ムーア人の影響もみられる。
カンテ (Cante)
歌。魂の奥底から響く深い声(カンテ・ホンド)こそ、フラメンコの真髄といえる。
ヒターノ達にとってフラメンコと言えば、まずはこのカンテが重要。
カンタオール (cantaor):男性の歌い手。
カンタオーラ (cantaora):女性の歌い手。
バイレ (Baile):踊りのこと。
日本ではフラメンコといえば踊りというイメージが強い。
つま先やかかとで床を踏み鳴らしてリズムをとる(サパテアード)、また手の動き(ブラッソ)はフラメンコの命である。
バイラオール (bailaor);男性の踊り手。
バイラオーラ (bailaora):女性の踊り手。
●トケ (Toque);ギター演奏。主に、アコースティック・ギターの一種であるフラメンコギターを用いる。
指先でギターを叩いてリズムを取る奏法からギター表面を保護するため、セルロイドなどで出来たゴルペ板を貼ってあるのが特徴。ゴルペ(名詞golpe,動詞golpear)とはスペイン語で「打撃、(剣術の)打ちこみ」などの意味。
●パリージョ (palillos):踊り子が両手に持つカスタネット。利き手には高音が出るもの、逆手には低音がでるものをつける。
●ハレオ (Jaleo):掛け声。『オーレ!』(アラー由来?といわれる掛け声)、『ビエン!』(good、いいぞ、の意)などの掛け声が場を盛り上げる。
●パルマ (Palma):手拍子。
甲高い音の『セコ (seco)』と低くこもった音の『バホ (bajo)』の2種類の音を使い分けながら、踊り手やギタリスト、歌い手の呼吸に合わせながらたたいて行く。フラメンコの音楽を形成する上で重要な役割を持つ。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
このフラメンコうまいのかヘタなのかよく分からない。
日本に戻ったらこの動画をフラメンコを習っている友人に見せて感想を聞いてみる。

ライトアップされたアルハンブラ宮殿
深夜にクラクションを鳴らしてホテルの前を走る車。
ユーロサッカーのスペインとイタリアの決勝戦が7月1日にある。
かなり盛り上がっているようだ。
 
家の前にも旗がかけてある