スペイン10日間 2012
2012年6月25日〜7月4日
 
2012年6月29日(金) 5日目
スペインらしいすっきりした青空になった。
サハラ砂漠からの熱波が収まり、砂漠の砂が来なくなったためだとのことである。
まるで日本の黄砂のようだ。
今日はミハスに向かう。
ちょっと期待していたのだが、イタリアのアルベルベッロのようでかなり観光地化されていた。
  
151 km、1 時間 51 分 引用:Google Map
   
 
最近、日本人が経営する押し花を使った土産店
お土産品には興味が無いので素通り
 
ミハスのネコ
   
 ミハス(Mijas)
アンダルシア、スペイン南部では、マラガの地方の町や自治体です。
それはコスタ・デル・ソル地域の中心で、平均海抜450メートル、山側に位置する典型的アンダルシアの白い村です。
いくつかの地元の歴史博物館、多くの土産物店があり、ラカーラリゾート、スペイン最大のゴルフリゾートを含む7ゴルフコース(4つの建設中である)があります。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA 
 

展望台からの眺め
コスタ・デル・ソル(Costa del Sol)
 太陽海岸という意味で、スペイン南部アンダルシア州のマラガ県の海岸地域とカディス県のカンポ・デ・ヒブラルタル地区の地中海に面する地域にあたる。
スペインの観光産業にとって最も重要な地域の一つであり、アンダルシアの観光業の35%を占め、年間およそ1,730万の宿泊客がある(2008年)。
コスタ・デル・ソルの気候は温暖で、年平均気温は19度で、日照は年間の300日以上である。
ゴルフ場をはじめとする観光関連施設、会議・展示施設、ヨットハーバーなどが数多くある。、
コスタ・デル・ソルが国際的な観光地域として知られるようになったのは1950年代のことで、以来外国人、とくにイギリス、ドイツ、北欧、フランスの人々にとって人気のある旅行先となっており、このことはこの地域の経済発展と人口成長にとって欠くべからざるものとなっている。
1970年代と80年代の間、この地域は「犯罪海岸 "Costa del Crime"」として悪名が高かった。
イギリスのギャング団の間で、法的なトラブルを逃れてこの地で贅沢をして暮らすことが流行っていた。
両国間にはジブラルタル問題があり、犯罪人引渡し条約が締結されていなかった。
この現象はテレビのショー番組などで話題となっていた。
引用;フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
 
ミハスの高級住宅街
 

ミハスの白バイ(色は青)、バイクではなくスクーター

ミハスの闘牛場

観光馬車、落とした馬糞が気になります。

観光ロバ
 
ミハス 動画(1)
 
ミハス 動画(2)
 
93.4 km、1 時間 27 分 引用Google Map
 ミハスを見物後、ロンダへ向かった。
ロンダへ着いたところで先に昼食となった。

昼食のレストラン

ガスパチョ

少し胃の具合が悪くて肉は応える
  
ビールよりオレンジジュースが高いのが気になる
 パンを皿に置かず、直にテーブルの上に置くのがスペイン流か・・ 
「ガスパチョ」とは、アラビア語で「びしょ濡れのパン」という意味で、
スペインのアンダルシア地方の料理で材料は
トマト、ピーマン、タマネギ、キュウリ、ニンジン、にんにく、食パン、生パン粉、マヨネーズ、赤ワイン、酢、タバスコなど。
少し酸味がある理由が分かった。。 
 
タホ公園からの眺め、パラドールが左側に見える

ヌエボ橋(PUENTE NUEBO)

18世紀に新市街と旧市街を結ぶために作った石橋
ヌエボ(NUEVO)とはNewのこと
※イタリア語では橋はポンテ(PONTE)、よく似ている
 
ヌエボ橋(PUENTE NUEBO)とパラドール
 
ロンダ google mapより引用
映画『アンダルシア・女神の報復』で見たほどの迫力はなかった。 
 ロンダ(Ronda)
スペイン、アンダルシア州、マラガ県の都市。
海抜739mの岩だらけの台地の上にロンダはある。
タホ・デ・ロンダの名で知られる渓谷(グアディアーロ川)の支流グアダレビン川によって市街は2つに分断されている。
この渓谷はモリノス谷まで広がる。
市街の東はシエラ・デ・ラス・ニエベス自然公園で、南はヘナル谷、西はシエラ・グラサレーマ山脈、北はカンピージョスへとつながる平地である。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA 《詳細
 
ロンダ 動画 
 
スペイン広場(PLaza de Espana)の胸像 
 アントニオ・デ・ロス・リオス・ロサス
1812年3月16日ロンダで生まれ。1873年11月3日マドリッドで亡くなった。
スペイン語法学者で政治家。
彼は1863年から1864年、1865年から1866年と1872年の立法府の下院議会の議長に選出された。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細

ロンダのマック(スペイン広場)

 
ロンダの闘牛場(PLAZA DE TOROS)1785年建造、スペイン最古の闘牛場

AL TORO DE LIDIA

AL TORO DE LIDIA 闘牛の雄牛
住民の文化と歴史を祝う記念碑
この記念碑は2005年9月9日、ロンダ市長アントニオ・マリア・マリンララが観光行動計画のひとつとして設置した。

フランシスコ・ロメロ

ロンダ タホ公園 
 フランシスコ・ロメーロ(Francisco Romero)
現在のスペインの闘牛のスタイルを確立させた人物。
このため伝説の闘牛士と位置づけられている。
18世紀当時にスペインで行われていた闘牛は、
馬に乗った闘士が牛を相手にするというスタイルであった。
伝説によれば、ある日、ロンダで闘牛を行っていた貴族が落馬したところを、
大工のフランシスコ・ロメーロが帽子一つで救出。
これが評判を呼び、現代に至る闘牛の原点が作られたという。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
 
ソコロ広場 (Plaza del Socorro)の教会

ソコロ広場の噴水

ヘラクレスとアンダルシアの
2頭のライオン
 
タホ公園の横にある
メルセー修道院 (Iglesia de la Merced)
ヘラクレスはライオンをやっつけて皮を剥いだというギリシャ神話がある。この像はアンダルシアの州旗と同じ

アンダルシア州の旗
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA 
1918年、ロンダ議会において、現在のデザインのアンダルシア州旗、州歌、州章が紹介された。(引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA)

ジブラルタル海峡は、ギリシヤ神話にちなんで「ヘラクレスの瀬戸」と呼ばれる。
海峡の入口にある岩山は「ヘラクレスの柱」と呼ばれている。

フランシスコ・ロメロ

ROND A PEDRO ROMERO
伝説の闘牛士 フランシスコ・ロメーロ
 
ブラス・インファンテ
 
アンダルシアの国父
2007年2月28日建立
ブラス・インファンテ・ペレス・デ・バルガス
(Blas Infante Perez de Vargas 1885年7月5日カサレス - 1936年8月11日セビリャ)
スペインの公証人、歴史学者、人類学者、音楽学者、作家、ジャーナリスト及び政治家。
アンダルシア民族主義に基づいた独立運動を指導した事から、「アンダルシアの国父」(Padre de la Patria Andaluza)と呼ばれる。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
18 98年の米西戦争で負け、スペインは経済は逼迫することになった。
アンダルシアも経済的にきびしい状況で、ブラス・インファンテは小国家の連合体を主張し、アンダルシアの独立を求めた。
彼はアンダルシアのロンダ市で「アンダルシア連絡会議」を組織した。
現在のアンダルシア自治州の「アンダルシアの国旗」と「紋章」はインファンテが採用したものである。
スペイン内戦でフランコ軍に反抗したため1936年8月11日、セビリャ郊外のカルモナで銃殺された。
ロンダを見物後、再度グラナダへも戻る。
夕食後、まだ夏時間ということもあり、かなり明るい。
近くにエル・コルテ・イングレスというスーパーに出かけることにしたが、添乗員の言った場所も違うし、地図の場所も違う。
ツアーグループの方が先ほど行ってきたので案内してくれるとのことで連れて行ってくれた。
意外とホテルから近かった。

サン・ヘロニモ San Jeronimo修道院

Hospital San Juan de Dios
聖ヨハネ病院
1544年に出来ていた記録のある古い病院
 
Iglesia del Perpetuo Socorro
永遠救済教会
 サン・ヘロニモとは聖ヒエロニムス(英語名Saint Jerome )のことでローマ時代のキリスト教司祭、神学者、歴史家であり、医者でもあった。
添乗員の言った方向に行ったが、スーパーが見つからない 。
教会らしき建物が2つほど見えた。 
 
宿泊ホテルは町の中心部とは大分離れている

イングレスとスーパー

キャット・フードの売り場

Granada al Maestro
MANUEL CANO
スーパーの前にあるモニュメント
Manule Cano は、コルドヴァ大学教授というアカデミックな背景を持つフラメンコ・ギター奏者である。
専門店で買い物をした後、スーパーの方へ入ろうとしたら、係の人に呼び止められた。
分からないので立ち往生していると、入り口のビニール袋のあるところに連れて行ってくれた。
そこで上の階で買い物した手提げ袋ごとビニール袋入れ、取手だけだしてアイロンのようなもので對をしてくれた。
どうも万引き防止策のようだ。
日本でも識別用の透明バッグを使わせるところがあるが、これは初めての経験だった。
それと上の階で買い物したとき、クレジットカードの他にパスポートの提示を求められた。
外国人による偽カード使用が多いためかと思った。
  
『アンダルシア・女神の報復』予告編