スペイン10日間 2012
2012年6月25日〜7月4日
 
2012年7月2日(月) 8日目
午前中はバスで最初に市内観光、降りて見学しないので見るのがいそがしい。
その後はプラド美術館見学、これが午前中のメイン。

マドリッドの闘牛場、車窓から
 
市内観光 バスからの動画
 
スペイン広場
 1930年にドンキホーテの作者セルバンティスを記念して造られた
彼は1571年オスマントルコとのレパントの海戦で負傷し、左腕の自由を失った。その後も従軍を続け、本国へ帰還する途中、海賊に襲われて捕虜となった。巨額の身代金を要求され長期間捕虜生活を送ることになった、アルジェで5年間の虜囚生活を送る。
やっと身代金が払われ本国に戻り、小説を書くが評価されず、仕事もうまくいかなかっ。
1605年に『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』を出版し、ベストセラーになり、やっと小説家として芽が出た。

ドンキホーテとサンチョパンザの像
 
ドンキホーテの作者セルバンティス
 
セルバンティス
 
王宮、明日ゆっくり見に行きます。

フェリペ4世像
 技術的な面からも騎馬彫刻の傑作とされている。
2本の後ろ足で立ち上がったこの騎馬は世界初の試みであり、その尻尾は下に下がっている。
微妙なバランスに支えられ、像の重量配分を計算した上で作られている
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
フェリペ4世(Felipe IV, 1605年4月8日 - 1665年9月17日)
スペイン王、ナポリ・シチリア王(在位:1621年 - 1665年)、ポルトガル王(在位:1621年 - 1640年)。
ポルトガル王としてはフィリペ3世。
フェリペ3世と王妃マルガリータの息子。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
 
オリエンテ広場のフェリペ4世騎馬像
 
芸術の栄光のために
首都地域の美化のために
この記念碑を
イサベルU世
 
 
 プラド美術館の正面を見なかった。
残念・・・・。
 
プラド美術館前のゴヤの彫像
後ろはホテル『リッツ』

プラド美術館入り口
ここは団体者用
ヘロニモス門 Puerta de los Jeronimos
今回の美術館見学での目玉は着衣のマハ』と『裸のマハ』の2枚が見れたことでしょう。
ガイドさんの説明ではこの2枚が同時にそろう機会は少ないとのことでした。

ヘロニモス教会iglesia de los jeronimos
プラド美術館のすぐ横にあります
この教会は1854年に天正の遣欧少年使節が当時のスペイン国王フェリペ2世に謁見したところだそうです。教会の回廊は美術館の一部になっているそうです。。

ここから出た骨の爪の間に絵の具の顔料は出なかった。
おそらくベラスケスの骨は他へ移されたようだとの解説だった。

DIEGO VELAZQVEZ
1599-1660
ベラスケスの墓のモニュメント
このモニュメントの後ろに皮革専門店の『レ・パントLapanto』という免税店があり、お土産を買うことになった。 
 これで午前中の予定は終了、午後はオプションのセゴビア観光に行くことにたった。
人数がぎりぎりで催行されないことになっていたが、ぎりぎりで催行人数に達した。
だめなら個人でAVEで行くことにしていたが助かった。
やはり解説がないとわかり難い。
その前に中華料理の昼食を食べに行った。

昼食のレストラン『京城酒家 CHINA CITY』

レストランの中
 旅行中に1回は中華料理を食べないとだめだ。
中華料理はほぼどこで食べても当たりはずれがないし、安い。

111 km、1 時間 19 分
 昼食後は、セゴビア観光へ。
行ってよかった。
 セゴビア(Segovia)
スペインの都市。カスティーリャ・イ・レオン州セゴビア県の県都である。
マドリードからは87km、バリャドリッドからは111kmの位置にある。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
 

セメントなどの接合剤はまったく使われておらず、積み上げただけ。長さは728m。
この水道橋を間近に見るとすごいの一言。
熊本県の通潤橋とは規模が違う。これは江戸時代、セゴビアは紀元前の作。
アセベダ川の水をセゴビアの町まで水を通している。
水路は傾斜が付けてあって町まで自然に流れるようになっている。
地形に段差があるためこのような高い水道橋が必要になってくる。
この水道橋は紀元前1世紀に作られたもの、ローマ人の建築技術の高さはおどろきだ。 
   
1974年ローマからセゴビアへ
 水道橋の下にロムルスとレムルスの記念碑
本物ははローマのカピトリーニ美術館にある
※ローマ数字の記載法
「 I 」→「1」、「V」→「5」、「X」→「10」、「L」→「50」、「C」→「100」、「D」→「500」
「M」→「1000」 
◎「大きい数から書く」
◎「小さい数がそれより大きい数よりも前に書かれている場合は、 小さい数を大きい数から引く」(減算則)
(M)(CM)(LXX)(IV)=(1000)+(1000−100)+(50+10+10)+(5−1)
      = 1974
 
セゴビア 動画

エル・ベルナルディーノ

エル・ベルナルディーノ

エル・ベルナルディーノ El bernardino
セゴビア名物の子豚の丸焼き(コチニーリョ・アサードCochinillo Asado) で有名なレストラン
 
コチニーリョ・アサードCochinillo Asado 19ユーロ
 
コチニーリョ・アサードCochinillo Asado
セゴビア名物子豚の丸焼き

カサ・デ・ロス・ピコロス(くちばしの家)、ピコス家の館

壁が四角錐の突起がいっぱい
カサ・デ・ロス・ピコロスは15〜16世紀頃に建てられた貴族の邸宅でピラミッド型の突起を付けた壁が特徴である。
鎧をまとった様なデザインとも言われる。 

サン・マルティン教会
ロマネスク様式の教会で(1111年から1124年にかけて建設された

ファン・ブラボ(JuanBravo)像
ファンブラボーJuanBravo(1483-1521)
16世紀初め,スペインのカスティリャ王国の国王カルロス1世は,ドイツ皇帝になるための資金を捻出するために金融業者から多額の借金をした。
1520年その返済のため強制的に上納金を納める法律を作った。
それに対し、カスティリャの住民は,コムニダードcomunidadを結成し(その構成員をコムネロスcomunerosという)、反乱(コムネロスの内乱)を起こした。
ファンブラボーはコムネロスのリーダーとして活動したが1521年1月、王国軍に捕らえられて処刑された。
その記念碑がセゴビヤに1921年建立された。
聖マルティネス(聖マルティン)
聖マルティヌス(聖マーティン、サン=マルタン)は、ローマ帝国の属州パンノニア(現ハンガリー)に生まれ、ローマ帝国の兵役に就いたのち、洗礼を受け、修道士となった。
兵士の頃、雪の中で凍えていた半裸の物乞いに、自らのマントを半分裂いて与えた話は有名である。
その夜、マルティヌスの夢の中に、半分のマントをまとったイエス・キリストが現れ、「まだ受洗もしていないローマの兵士マルティヌスが、私にこのマントをくれた」と言った。
マルティヌスはその後、ポワティエ郊外にガリア地方初の修道院を建て、さらにトゥールの司教となった。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細

カテドラル、マヨール広場

san Andres教会
サン・アンドレ(san Andres)はあのゴルフ場で有名なセント・アンドルーズ(St. Andrews)のこと。 
 サン・アンデレは、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。
シモン・ペトロの兄弟であるとされている。
西方教会、東方教会ともに聖人で記念日(聖名祝日)は11月30日。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
アルカサル(ALCAZAR)は13世紀頃から歴代の王によって建造された城。
アルカサルはスペイン語で『城』を意味する。

セゴビア城入り口の門

砲兵隊長ルイス・ダオイスとペドロ・ベラルデの記念碑
ALOS CAPITANES DE ARTILLERIA D.LUIS DAOIZ Y D.PEDORO VELARDE LA NACION ESPANOLA

フェルナンド7世時代の紋章
砲兵隊長ルイス・ダオイスペドロ・ベラルデは同じセゴビアの王立砲兵学校の卒業生であった。
1808年5月2日ナポレオン率いるフランス軍との戦闘で亡くなったスペインの英雄である。
この戦いがスペイン独立運動の引き金となった。
ダイオスとベラルデおよび戦って死んだ兵士はセゴビアの聖マルティン教会に埋葬された。
※ゴヤの有名な絵画『マドリード 1808年5月2日』はこの時の戦闘を描いたもの 

アルカサル
   
 
 
 
 
アルカサールが一番美しく見える位置から撮影
白雪姫のモデルになった城
 
セゴビア観光の後、まだ時間があるのでピカソの『ゲルニカ』を見に行くとにした。
この絵はソフィア王妃芸術センター(Museo nacional Centro de Arte Reina Sofia)にある。
一度、マドリッドの地下鉄に乗ってみたかったので徒歩で出かけた。

19:00以降は入場料無料とのことで20時前には着く予定だったがこの地下鉄はかなりのろのろ走るため、美術館に到着したの20時半前だった。

意外と殺風景な美術館だったが、教科書では見たことのある『ゲルニカ』の本物を見ることが出来た。
ダリの絵もあるが、あまり目玉になる絵はないようだ。 
 
地下鉄の構内

ソフィア王妃芸術センター、ガラス張りのエレベーター塔
展示内容は『ゲルニカ』以外は目玉がない
 ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia、MNCARS)
スペインのマドリードにある美術館。
現国王フアン・カルロス1世の王妃ソフィアにちなんで名付けられた。
20世紀の近現代美術を中心に展示されている。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
ピカソの『ゲルニカ』の画像を見たい方はクリックしてください
 美術館を出たら、同じツアーの人の人に会った。
一緒に食事をしようということで日本食レストランへ行ったら休みだった。
ちょうどこの日はユーロサッカーの優勝を国王に報告する日で,、このあたりは人でごったがえしていた。
途中で見つけたバルで夕食を摂った
優勝パレード見物に来た客が入ってきた 

ビールはうまい

タパス
 
右がスペイン風オムレツ
 
優勝パレードの日 動画
添乗員さんの忠告通り、現金はほとんど持たず、パスポートなどの貴重品は部屋のセフティボックスに入れた。
※前回の旅行の時の添乗員さんはセフティボックスは当てにならないので自分で持ったほうがいいとのことだった。
一応、このとき以外は安全のために貴重品はシャツの下に首からぶら下げた入れものに入れていた。