3日目 7月16日(月)
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ホテル・サーマル・プリンセスの朝食で初めて見る料理を少し書いておきます。

オイル付けのチーズ

トルコ風チーズ入りのパン?
 
 
"Yellow cheese with oil"

"Turkish pastry with groat's cheese" 
料理の名前を撮影するのを忘れた
料理の名称が分かりません
 
 それではまたバスに乗ってベルガマに向かいます。
一行は添乗員とガイドを除いて14人でしたのでずいぶん楽でした。

ガソリンスタンドの『Hosgeldiniz』とは
『ようこそ』という意味

(トルコ語には”S”の下にひげがあるアルファヘット)

鍵屋の看板、どうも電子錠のようです

オレンジジュースの店

トルコにもあったガチャ・ガチャ
 ベルガマに行く前にトルコ石の店『AGAD』に向かった。
ここでトルコ石のどれが本物で偽物か説明があったが、
結論としてはしろうとでは分からないとうことだ。

トルコ石の店アガド
『るるぶ』裏表紙に広告が出ている

トルコ石の原石の値段は重さで決まる
要するに模様はどうでもよい

イケメンの店員に勧められて・・・
よく品定めをしてくださいよ

美人のお姉さんに勧められても・・・
値段を聞いて少し考える
 ベルガマは紀元前2世紀から1世紀にアッタロス朝ペルガモン王国の都として栄えたヘレニズム都市である。
紀元前1世紀にペルガモン王アッタロス3世が領内のギリシア諸ポリスを除いた全領土をローマ帝国に寄贈し、
ローマ帝国の属州となった。ながらくローマ都市として繁栄を続けた。

遺跡といってもあまり大きなものは残っていない

図書館跡

ほとんど壊れているのであまり見るものがない

野外劇場が山の斜面に作ってある
 
 遺跡からの出土品の多くはドイツのベルリンのペルガモン博物館にある。
ベルガマ遺跡の図書館はアレクサンドリアの図書館に次ぐ所蔵量をもち、
エジプトから記録用のパピルスの輸出を止められたと言われている。
そのためパピルスの代替品として羊皮紙の使用が奨励され、
ヨーロッパで羊皮紙のことをペルガモンという。

ベルガマ遺跡はそれほど遺跡としては残っていないようだ、
エフェソスを見た後では少し物足りないの印象だった。

木陰に入ると涼しいです

遺跡の入り口にあるみやげ物店
 
ベルガマ遺跡のネコ
 トロイへ
 
 映画の『トロイ』を見て期待しているとがっかりすることを先に書いておきます。
レストランの前でナザールボンジューの
腕輪を売る少年

バイキングだが少し品数が少ない

バイキングにスパゲッティがあった

オリーブオイルのみやげ物
少し高いようだ・・
 ハインリッヒ・シュリーマン(1822 - 1890)は、ドイツ人でギリシャ神話の伝説の都市トロイが実在することを発掘によって証明した。
トロイ発掘を志したのは子供の頃ホメロスの叙事詩イーリアスを読んだのがきっかけである。
当時は「トロイ戦争はホメロスの作り話」で実在しないとされていた。

発掘調査費を稼ぎだすために、貿易などの事業を成功させ、晩年に発掘調査に挑んだ。
トロイがヒサルリクの丘にあると確信し、調査を続けた結果、同地に遺跡を発見した。


しかし、教養ある妻に対しコンプレックスを持っており、トロイ発掘が子供のころからの夢であったと言ってしまい、
発掘に挑戦することになったという話もある。


発掘にあたってギリシャ政府との協定を無視し出土品を国外に持ち出したりしたためギリシャ政府が発掘中止を命じた。
しかし、その後も勝手に発掘を続けた。
彼は発掘についての知識は乏しい状態で発掘作業を行ったため遺跡にかなりの損傷を与えた。
現在、考古学者によって再発掘が行われている。

トロイの復元図
 
【トロイ戦争の神話】
オリンポスで人間の子ペレウスとティターン族の娘テティスの結婚式が行われたが、
エリス(争いの女神)がこの結婚式に招待されなかった。
彼女は怒ってヘスペリデス(不死の庭園)の黄金のリンゴを投げ入れ、もっとも美しい女神に捧げると言った。
このリンゴをめぐって、ヘラ、アテナ、アフロディテの三人の女神による争奪戦が起り、
ゼウスはこのリンゴが誰にふさわしいか、トロイの王子パリスの判定(パリスの審判)にゆだねた。

三人の女神はパリスの前に立ち、ヘラは世界を支配する力を、アテナはどんな戦争にも勝つ力を、
アフロディテは最も美しい美女を、与える約束をした。
パリスは美女を選び、アフロディテの誘いでスパルタ王メネラオスの妃ヘレネを奪った。

メネラオスは、兄のミケナイのアガメムノン王とオデュッセウスに協力を求めパリスにヘレネの引き渡しを求めた。
しかし、パリスはこれを拒否したため、アガメムノン、メネラオス、オデュッセウスはヘレネ奪還のための遠征軍を組織した。

アガメムノンを総大将として大艦隊でトロイに向かった。
遠征軍はトロイ近郊の浜に上陸し、アキレスが待ち構えたトロイ軍を撃退した。
遠征軍の攻撃に対してトロイ軍は城壁内に立てこもった。
城壁は強固で破れず、なかなか決着がつかなかった。
戦争は10年以上続き、トロイの勇将ヘクトルと英雄アキレスも死に戦争は膠着状態となった。
その時オデュッセウスは兵を引き上げと見せかけ、内部に兵を潜ませた巨大な木馬を置きみやげとした。
そうとは知らずトロイの兵隊は木馬を城壁の中に持ち込んだ。
この計略でトロイはこ一夜で陥落した。
(この神話を読んでから、映画の『トロイ』を見れば理解しやすい)
 

あまり遺跡としては見るものがない

トロイの木馬、あんまり大したものではありません
 トロイ遺跡の見学後、チャナッカレへ向かった。
チャナカレは第一次世界大戦時、英仏連合軍とアタチュルク率いるトルコ軍がここで激戦を繰り広げた。
英軍にはオーストラリア軍も参加し、今もオーストラリア軍の遺族が訪れるそうだ。

ホテルの夜景

部屋の窓からプールと海岸を望む

ホテル・コリンのロビー

海側のプールへの出口

夕焼けのダーダネス海峡

廊下の窓からホテルの前を見る
 コリンホテルでの夕食はバイキングではなくコース料理だった。
しかし、ミックスドグリルのようなものがメインでさすがに全部食べられなかった。

スープ

サラダ、もう少しドレッシングがほしい

ミックスグリル

デザート(甘い・・・)
 このホテルの前は海岸になっており、ダーダネネルス海峡に沈む夕日を見ることができます。
海峡の向こうに見えるのがゲリボル半島です。

料理の名前を聞くのを忘れたがアジュル・エズメ(芥子のペースト)ではないか?
シリア、UAE、ヨルダンではこの種のペーストをホンモスという
スーパーで買ってきたザクロのジュース。ザクロは"Nar"、ジュースは"Suyu"
酸味が少し強いようです。
 
ホテルのロビーにあるガリポリの戦いの模型
ガリポリ戦(Battle of Gallipoli)
 第一次世界大戦中、同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブール占領のため
連合軍がガリポリ半島へ上陸作戦を行った。
ガリポリはダーダネルス海峡の西側、エーゲ海からマルマラ海への入り口の半島の英語名である。


トルコ側の予想外の抵抗で撃退され連合軍の作戦は失敗に終わった。
この戦争ではオーストラリア、ニュージーランドも連合国軍に参加していた。


チャーチルがこの作戦の立案者であり、この作戦に失敗しため失脚した。
逆にトルコ革命の指導者となったケマル・アタチュルクが、この戦いでその軍事的才能を発揮し、
一躍トルコの英雄となった。
 
ホテルを出て左正面方向にPROMOSYONというスーパーがある。
手持ちのトルコリラが少なくなったのでATMがあるだろうと思って行ってみた。
ATMがあったので引き出した。
しかし、帰ってから口座の明細を見たら、同日ではここの換算レートが一番悪かった。

海が近いのに売られている魚は少ない

トルコ語で砂糖は”Seker”という。
”S"には下にひげがある。
(このPCではトルコ語表記できない)

スーパー内の”バーガーキング”

デスクトップパソコンはAIDATAという
ブランドで749YTL(74900円)。
メモリは512MB
 
このスーパーで売っていたドンドルマの素、雑誌ルルブでも紹介されていた。
牛乳にこの粉を混ぜ、冷蔵庫で冷やせと書いてあり、その通りにしたが、
シャーベット状で粘りけが出ない。
作り方がまずいのだろうか?
とてもドンドルマとは似ても似つかないものだった。
 コリンホテルでインターネット接続を試みたがつながらない。
無線LANの信号はキャッチ出来るのだが表示できない。
セキュリテイはかかっているようだが、パソコン側の設定に問題がありそうだ。
フロントで聞こうと思ったが体調不良で休むことにしここでの運用は止めた。


どうも設定に問題があるようだ。しんどいのであきらめて寝ることにした
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