2005年9月18日(日) プラハからチェスキークルムロフへ(ドライブ) |
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今日は一転して快晴、しかし気温は低い。
ホテルからHERZの営業所のあるKARLOVO NMAMESTIに地下鉄B線で向かう。
ホームにジャンパー姿のうさんくさそうな2人が手に金属大きな印鑑のようなものを持って立っていた。
ホームにいる人に切符の提示を求めていた。 さてはまた偽警官と思ったがこれがプラハで有名な検札だった。
地下鉄に乗り込んだらまた検札があった。
日曜日の乗客の少ないときにやっているらしい。 |
レンタルしたFORD FOCUS
小型で2人ならちょうどよい大きさ。 |
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レンタル車は予定通りエコノミータイプのオートマのFORD FOCUS、
いつも予約が当てにならないヨーロッパだが今回は正確だった。
マニュアルでも運転は出来るが、とにかく右側通行で危険を避けるためにはオートマがいい。
高速道路の通行券はどこで買うかと聞いたらすでに買って入れてあると言われた。
オーストリア側のはどうするのかと聞いたらボーダーの売店で買えと言うことだった。
早速乗り込んでE55に向かう。日曜日なので車は少ない。
HERZの女性が行ったとおりに2つ目の信号で右折したが行きすぎてしまっていた。 市内はかなり一方通行が多く、迷うとなかなかもとに戻れない。
なんとか回り込んでE55に入り込んだ。(このときコンパスが役に立った。
コンパスで大体の方角を確認して進んだ。) |
なんとかE55に入ってフルボカに向かう |
TABORで高速道路はは終わることになっている。
前の車が右方向にいく、まだ高速がつづいているのにと思いながら一緒について行ってしまった。
右へ曲がったところで間違ったかなと思いユーターンしてもとの道に戻ったが、
そこで反対方向に走ってしまった。
トリップメーターの使い方が分からず距離を正確に確認していなかった。 ミシュランの案内が正しかった。下手に自分の感を入れない方がいい。
これでもとに戻ったと思ったが、さっきまで運転席の左から太陽光線が入っていたのに右側から???
路側に止めて作業中の男性に確認したら反対向きに走っていた
向かい側のガソリンスタンドで一服することにし、水とジュースを買ってトイレを借りた。
もう一度スタンドの人に確認する、方向は間違いない、さらに持ってきた地図で再確認、
十分地図を見ていなかった。ミ
シュランの地図を今回は分割して持ってきたが、前回のようにつないで張り合わせた方がよかった。
(少し手間だ が)
高速でもないのに2車線の道路を120Kmくらいで走っている。
道路の舗装はかなりいい。(中国の高速の舗装は悪い。観光バスでの感想)
フルボカに着く。 |
外壁が真っ白で汚れがない。
まっさらでは少し興ざめである
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城の中庭 |
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ひげを蓄えた赤ら顔の小太りのおっさんが自転車に乗ってやってくる。
駐車場の料金係だった。
城はかなり新しい、塗り直したのだろうか?
『地球の歩き方』でチェコでもっとも美しい城とのことだったが少し印象が違った。 新しすぎる。ちょっとほめすぎだ。
(個人的な意見ではあまり期待しない方がいい) |
フルボカ城の歴史
13世紀に最初に建てられ、ボヘミア王家の所有であったが、
財政難のため金持ちの貴族に抵当として差し出された。
16世紀になり王家はボヘミア貴族に売り渡してしまった。
買い取ったフラデク家はルネサンス様式に改築した。
その後1661年にヨハン・シュヴァルツェンベルグの所有になり、
第二次世界大戦後の1947年まで所有していた
現在の城は1840年から1871年にかけて改築されたものである。
シュヴァルツェンベルグ家はドイツのフランケン地方出身の一小貴族だったが
フス戦争当時に皇帝ジグムント側につき、
ジグムントがボヘミア王になったとき恩賞として多くの領地が与えられた。
そのような過程を経て7世紀にはシュヴァルツェンベルグ家は大貴族に成り上がった。
さらに指揮官として対ナポレオン戦争でフランス軍に勝利して名を上げ、
ウイーンにシュヴァルツェンベルグ広場、シュヴァルツェンベルグ宮殿(現在のシュロス・ホテル)
を建設した |
城の内部はガイド付きでないとだめとのこと、また12:00〜12:30まで休み。
次の英語でのガイドは13:30から、とても待ってられないので
外観と庭だけ見てチェスキークルムロフに向け出発した。
今度はミシュランの書いてあるとおり走行した。
トリップメーターの使い方も分かった。 |
この車の液晶が非常に見にくい。字は大きく出るのだが明るいと非常にみずらい。
オートマの切れは少しスムーズではないが、速度はかなり出て安定性もいい。
今度は道を間違えずチェスキークルムロフに到着。
どこへ止めようかと思いながら旧市街のほうへ入り込んだら、歩行者以外だめの標識。 車を止めたらそこの横が今夜の泊まりのペンション(Na Kovarne)だった。 |
ペンション(Na Kovarne) |
旧市街、手前がモルダバ川 |
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クルムロフの”クルム”とはドイツ語で”曲がる”という意味 |
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まだ、日暮れまで十分時間があるのでクルムロフ城の見学に向かった。
正門側に行こうとしたが間違って後ろの方へ行ってしまった。
ブラーシュティ橋の下をくぐると駐車場に出てしまった。 |
ブラーシュティ橋
城と庭を結ぶ3階建ての橋 |
チェスキークルムロフの地図
川が旧市街を囲むように蛇行している |
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城の塔 |
クルムロフ城 |
城は川向こうの岩山の上に立っている。
プラハ城に次いでチェコで2番目に大きい城である。
外壁はスグラフィット技法で装飾されている。 |
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城の英語ガイド付きの予約が終了していたので仕方なくチェコ語ガイド付きの予約をして
椅子で座って待つことにした。
途中で団体客用の日本語ガイドツアーが始まった。
残念ながら合流不可。
ガイドツアーが開始された、英語の案内書を渡してくれた(後で回収)。
英語の聞き取もしんどいのでこの方が正解だったかもしれない。
持ってきた旅行書とでなんとなく分かった。 アー終了後、土産物屋をはしごしながらペンションに戻ることにした。
琥珀の値段はプラハより少し安いようだ。
夕食は少し豪華にと思い、HOTEL RUZEのレストランに行くことにした。
このホテルは修道院を改造してホテルにしたそうで、
レストランでは昔の服装(中世の格好)で給仕してくれる。 ナイフ・フォークも昔風にしてあった。 |
食事中、向こうの方で突然『Happy Birthday・・・・』の歌声が聞こえ、
給仕がろうそくを立てたケーキを運んで行った。
外人、観光客のグループの1人が誕生日のようで連れの友達が祝っていたのだ。
やおら、1人の老人が立ち上がり英語でお礼のスピーチを始めた。
魚料理を注文したが、旅行書に書いてあるように泥臭さはまったくなかった。
この辺りはため池が多く、淡水魚の養殖が盛んとのことだ。 魚の味の方についてはよく分からなかった。
支払いの時チップを渡そうとしたがノーチップという返事で受け取らなかった。
今までチップを取らなかったレストランは経験はなかったので意外だった。 |
ホテル・リュージェ(5つ星) |
ホテルの中庭
外国人の団体客が泊まっていた。 |
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レストラン内。壁にタペストリー
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ナイフの柄が丸めたような筒状になっている |
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レストランを出たところかなり寒い、息が白くなる。パッチとセーターを用意してきてよかった。
ペンションの扉は閉まっており渡されていた鍵でドアを開けて部屋に入った。
部屋にはオイルヒーターがあり、暖房は十分であった。
ホテルと違っていささか内装は質素だがたまにはこんなところに泊まるのも悪くはないだろう。 |
チェコのビールについて
チェスキークルムロフに至るまでの途中にチェスキー・ブジェヨヴィツエという町がある。
ここで作られる有名なビールがブジェヨヴィツエ・ブドヴァル(Budvar)である。
このビール酵母がアメリカに持ち込まれバドワイザー(ブドヴァルの発音ががなまって)となった。
ラガービールというのは下面発酵で作られるビールで
チェコのビールはこのラガービールが主流である。
チェコでラガービールとして有名なのがピルズナー・ウルケルと
ブジェヨヴィツエ・ブドヴァルがもっともよく知られている。
(ただし、地元のスーパーでは見かけかなかった・・・・)
上面発酵ビールとは発酵の際にビールの上面に浮かんでくる
酵母(上面発酵)によって造られるビールで、
この酵母は常温(約20℃)で最も活発に発酵活動が行われる。
そのため下面発酵酵母より発酵時間が短い。フルーティな香味が特徴。
下面発酵ビールは4〜13℃の低い温度で発酵をする酵母(下面発酵)で造られるビールである。
発酵終了後、更に低温で貯蔵熟成されたもので、通常ラガービールと呼ばれる。
淡色系ビールとも言われ、すっきりとした味わいが特徴。
日本のビールのほとんどはこれに属する。
プラハの市内の土産物屋でピルズナー・ウスキー1本とロゴ入りのコップのセットで
日本円で1500円くらいで売っていた。
日本で輸入ピルズナー・ウスキー1本は280円くらいだからかなり高いのではないか?
(輸入のブドバーも同じくらいの値段)
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