2003年9月7日(日)
   

パルミラを出てクラック・デ・シュバリエ城跡に向かう。
途中、シリアで3番目に大きな町ホムスに立ち寄る。

ホムスの町中

市内には近代的なビルも建っている
ハーリド・イブン・アル・ワリッド・モスクを見学する。
モスクには2本の白いミナレット(礼拝を呼びかける尖塔)が目立つ存在である。

女性はスカーフの着用がないと入れない。
ウマイヤドモスクのようにガウンを着用する必要はないので少し規制は緩い。
中はがらんとしており、寝転がっている人がいるし、
本を読んでもいる人もいる、教会の雰囲気とは随分違う。

ハーリド・イブン・アル・ワリッド・モスク
(Kahalid ibn Al-Walid Mosque)

モスクの中庭

モスクの内部
このモスクはスカーフだけでOK。
  ※モスクの礼拝堂にはキブラ(メッカの方向)側にミフラーブ(壁龕)がある。
イスラム教では、偶像を作ることは創造主である神への挑戦的行為であると考えられて厳禁となっている。
そのため、代わりにアラベスクと呼ばれる装飾文様で飾られている。

おなじみのミフラーブ(壁龕)

モスクの中のお墓

墓の上にかけられている額 
  内部にはウマイヤド・モスクと同じく墓のようなものがある。
アラビア語で書かれた額がかけてあるが意味が分からない。
旅行書によれば紀元前636年にイスラム教をこの地にもたらした
イスラム軍の司令官の墓があると書かれている。
 ホムスを後に、パルミラの西約250キロ地中海の近くの十字軍の要塞だった
クラック・デ・シュバリエ城跡に到着した。
ここから車で30分も走れば地中海が見えるとのことだ。

11世紀初頭にホムスの王が築いた砦だった.
1099年に聖地エルサレムを奪回するために遠征して来た十字軍が占領し、城としての大改築を行った。

クラック・デ・シュバリエとはフランス語で『騎士の城』という意味だそうだ。
音からしてアラビア語ではないと思った。

城の外観、レストランより望む

城の入口
  ガイドは2〜3人待機していた。やはり観光客が少ないのだ。
このガイドさんの説明、後でK先生から聞いたら、
土産物屋で売っているガイドブックをそのまま暗唱していたのだそうだ。
 
  通路は上がり坂になっていて所々に隙間を造ってある。
ここに石ころが積み上げてある。
おそらく投てき機に使う玉だ。

城入口からの通路

通路は複雑になっている
 
食堂
ビザンチン様式の装飾
  上がり通路の途中で水洗便所の跡というのも説明してくれた。
当時としては水洗便所は珍しかった.。.
当時のヨーロッパではトイレはなく汚物を窓から捨てていたはずだ。

十字軍のシンボルマークのライオン。
壁のでっぱった2つの部分がそれ。

字軍の当時は礼拝堂だったが、
モスクに改装イスラム教の説教段
 
 
 風呂が造られていたり、食糧倉庫、食堂、調理場などが残っている。
また、攻め込まれたとき逃げるための秘密の通路などが見つかったことなど説明してくれた。

牢獄もあり十字軍が捕虜にしたアラブ兵を入れた牢獄もあった。
収容人員に限りがあり、多くなったら首を切って処刑したとのガイドの説明だった。
十字軍は幕末の食い詰め浪士のような存在だったと思われ、かなり残虐なことをしたようだ。
その点、アラブの英雄サラディーンは寛大な人物だったようだ。
(ブッシュ大統領もこのあたり勉強不足のようだ。)

城の内部は十字軍撤退後、修復が加えられ、ヨーロッパとイスラムの融合した様式となっている。
説明されたが詳しくは分からなかった

城の上から外を望む
 
 城の見学を終え、城が良く見渡せるレストランで昼食をとることにした。
このレストランはカラ・レストランという。
またまたアラブ料理でもりだくさんの量で食べきれなかった。
食事後、コーヒーを飲みながらレストランの窓から外を見ると、
クラック・デ・シュバリエの美しい姿が眺められた。

夕方までにはダマスクスにもどり、スークを見物する予定のため
早々にカラ・レストランを後にした。
 パルミラを出て、午後4時過ぎにダマスクスに到着した。
到着したときと違ってうって変わってにぎやかなこと金曜日とは大違いだった。

旧市街のスークに向かう。
スルタンホテルからヒジャーズ駅の前を通って徒歩で
15分から20分くらいで城壁が左手に見えるスークの入口に到着する。

交差点には地下道があって地下街になっていて店がある。
エスカレーターがあるが故障で工事中だった。
地下道からスークに向かうすごい人混みだ。

スークはちょうど心斎橋商店街と鶴橋商店街を足して二で割ったと言えばいいだろう。
とにかく人が多い。しかし思ったほど危険な感じではない。
パリならすりや置き引きに警戒するところだがそんな輩は見あたらない。
ダマスクスの水売り
 スークの入口で水売りがパフォーマンスをしていた。
K先生が水を買って飲んでみるとのことでそれを眺めていた。
うまくガラスコップを洗って水を入れていく、あとで水の味を聞いたら、日本のアメ湯のようだとのこと。
こちらはお腹がそれほど丈夫ではないので飲むのは遠慮した。

ウマイヤドモスク側からスークを望む
写真を撮っていても特に警告されなかった

スークの天井はアーケード状になっている

香辛料を売っている店 
 スークを歩いていて奇妙に思ったのは男の2人連れが手をつないで歩いている光景だった。
後で聞いてみたが特に彼らはホモでもなんでもないとのこと、
シリアでは男でも友達同士なら手をつないで歩くそうだ。


スークの出口からウマイヤドモスクを望む

香水をブレンドして売っている店
 スークの中をうろうろしていると通りに立っていた男が自分の店に来るように言う。
少しうさんくさい感じだったが付いていくことにした。
スークの通りを少し入ったところにその人の店があった。
敷物を売っている店だった。

日本人がたくさん買いに来ていると言って、訪れた人の名刺のアルバムを見せてくれた。
自衛隊の人が多い、UNと書いてあるから国連軍で派遣された人達だろう。
そのほかJICAという肩書きの名刺も目立つ。

大にぎわいのアイスクリーム屋

日本人の名刺アルバムを見せてくれた
土産物屋絨毯?、テーブルクロス?
のような織物を売っている
 モスクの近くでは屋台を多く見かけた。
生ジュースを売っている屋台があった。
飲んでみたかったが旅行書に注意するように書いてあったので飲むのを断念した。

ブルーベリーのような実のジュースを売っている

お菓子を売っている屋台


日本の菓子パンに似たパンを売っている屋台

菓子パンのようなものを売る屋台が多い。

 アレッポの石けん(月桂樹を含有?)を土産に買うことにしたが、
石けんを売っている店が見つからない。
通りに立っている人に聞いたらアゼム宮殿の左方向だという。
行ってみたが店はない。それでまた道に立っている人に聞くと案内してやるという、
付いていくと先ほど尋ねた男の立っている場所から2軒目の店だった。

石けんを見たがあまりきれいとは思えない、量り売りをしている。
ふと見ると日本語で商品名が書いてある。
日本向けの輸出品のようだった。

金を売っている店が多い

水たばこを吸っている男の人

 明日はヨルダンのアンマンに向かう。