2003年9月9日
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今日はマダバを見てから、ネボ山、死海へ行く予定である。
そう遠くないので出発は8時とした。 |
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マダバまではすぐであった。
APSカメラのフイルムがなくったので途中で写真屋によってもらった。
APSフイルムを買いたいといったが、ないという。
しかし、壁にカメラの宣伝が貼ってある。
コダックのこのカメラに使うフイルムだというと出してくれた。
コダックではAPSをADVANTiXと言うのだ。
やはり日本より値段は高かった。
マダバの市内
マダバはアンマンの南約35kmにある。
旧約聖書には『メデバ』として登場しているところから、古い歴史のある町で、
5〜7世紀にはこの一帯のキリスト教の中心地として栄えた。
マダバに到着した。こじんまりした小さな町だった。
殉教者教会(Martyr's Church)を見学する。
建物はほとんど残っていない。 |
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床のモザイクがはっきりと分かる。
随分古いものなのにデザインセンスはかなりいい。
これは彩色したタイルのようなものなのかと質問したら、
すべて天然の色の付きの石だそうだ。 |
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話では民家の床下からモザイク画が出てきて発掘が始まった。
現在まだ発掘中でった。
また、マダバは昔から多くのモザイク職人がいることでも有名である。 |
次に聖ジョージ教会(St.Georges’ Church)に向かう。
ギリシア正教会だそうだ。教会の床には6世紀のパレスチナの地図のモザイクがある。
確かに死海、ヨルダン川、特にエルサレムの町が詳しく描かれている。
この地図のポスターを土産に買って帰った。
この地図にはエルサレムのキリストの墓の場所が記されていると言うがよく分からなかった。
この地図には聖書に関連する多くの地名(157カ所)が記されており、
キリスト教信者にはかなり興味があるものらしい。
半分くらいしか現存していないが、制作当初は長さ15.7m、幅5.6mもあったそうで、
このモザイクの制作には約200万個の石が使われている。
この地図は1898年この教会を建築する際に発見されたものである。 |
聖ジョージ教会の正面 |
教会内部、壁の絵はイコンか? |
床にパレスチナのモザイク図 |
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昔の道、石畳で舗装されている |
実際のモザイク画の地図 |
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マダバを後にモーゼの終焉の地ネボ山に向かう。
今日は快晴だ。
抜けるような青空。ネボ山に着く、入口に石柱が建てられている。
古いものかと思ったら2000年に建てられたものと説明を受けて少しがっかりした。
ネボ山の頂上のモーゼの杖のモニュメント付近から向こうを見ると、
死海の向こうにイスラエルが見え、そして右手のヨルダン川の向こうにエリコの町が見える。
ネボ山はモーゼがエルサレムの地を見ながら死んだ場所とされている。
ここには4世紀と7世紀に建てられた教会が復元されている。
教会に中には3つの教会がある。多くの宗派の人が訪れたことを意味しているのだろう。
昔は他の宗派ともなかよくやっていたという証拠だ。
床にはマダバの教会と同じくモザイク画が残されている。 |
新しく建てられた記念碑
これはヨーロッパの信者の寄付で
2000年に建てられた。
「ミレニアム記念」 |
これもモーゼの記念碑 |
モーゼ記念教会
1933年に発掘され復元された |
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ネボ山の入口で砂絵の実演販売、
イニシャルを入れてくれるので買って帰った。 |
※ここでモーゼの話
あの映画で有名な『モーゼの十戒』、あるいは『インディ・ジョーンズ』の
失われたアークでも出てくる石版の話も関連している。
モーゼはイスラエル人でエジプトで生まれた。
その頃エジプトではファラオがイスラエル人の嬰児虐殺を行っていた。
そのためモーゼの母親は自分の子どもが殺されないようモーゼを葦船に入れてナイル川に流した。
ファラオの王女がモーゼを見つけて自分の養子として育てられ成人となった。
モーゼはイスラエル人がエジプトで迫害されるのを見てエジプト人を殺害し、
ミディアン人の地へ逃れる。彼はそこで羊飼いをしていたが、
彼の前に神が現れイスラエル人を解放して約束の地に連れて行くよう彼を諭す。
その後、兄のアロンとともにエジプトのイスラエル人を解放しエジプトから脱出する。
一度は許したファラオが思い直して軍を率いて彼らを追いかける。
ここで有名な海が2つに引き裂かれる話(紅海の奇跡)が登場する。
これについては真実の程は分からない。
その後、イスラエルの民は神の怒りを受け40年間荒野をさまよう。
シナイ山でモーゼが神から十戒の石版をもらう。
イスラエル人たちはモーゼのいない間に偶像を崇拝しだした。
それを見たモーゼは怒って石版を投げつけて砕いてしまう。
その後悔い改めたイスラエル人に神が再度石版を与える。
これを収納した箱が映画で有名になった『アーク(聖ひつ:契約の箱)』ということになる。
モーゼは神から約束されたカナンの地に入ることが出来ず、
ネボ山から約束の地を見て亡くなったと言われる。
だからネボ山はモーゼ終焉の地として有名なのである
。しかし聖書ではネボ山の記載はなく『ピスガの頂』となっているそうです。 |
教会の内部、床にはモザイク画が描かれている
。正面は祭壇。 |
ガイドさんとK先生、K先生の方がよく知っていて
逆にガイドさんが聞き役に回っていた。 |
教会床のモザイク画 |
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ネボ山からの関連のある町までの距離 |
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モーゼの杖のへびの逸話について
神は羊飼いの仕事をして静かに暮らしたいというモーゼに
神はファラオの奴隷になっているイスラエル人を解放せよという。
そのため彼は雄弁な兄のアロンに代弁を頼む。
しかし、イスラエル人たちは、多神教の偶像崇拝の信仰を捨てず、兄弟の説得に耳を貸さない。
兄のアロンがモーゼの杖をつかみ取って地面に投げると蛇に変わった。
これを見たイスラエル人たちはモーゼたちの言うことに従ったという話に由来するらしい。
もう一つ別の本では神から命令を受けたモーゼが尻込みするので
モーゼの杖を蛇に変えてモーゼを信頼させたという話もある。
聖書を読んでいないのでどっちか分からない。 |
ネボ山頂上のモニュメント、
モーゼの杖が蛇になった
エピソードをモチーフにしている。 |
遙か向こうにエリコの町が見える。
モーゼの後継者ヨシュアが約束の地に
行くため攻略したとされる町である。
向かって左方向が約束の地ということになる。 |
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モーゼの記念碑 |
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モーゼの杖のモニュメントにある展望台に立つと死海の向こうにイスラエルが見えている。
ここから見る風景では紛争が起こっている現実がとても理解できなかった。
空は真っ青で雲一つない。
かなり乾燥しているので汗がほとんど出ず、快適であった。
運転手のサラさんにアンマンの水道水はヨルダン川から取っているのかと尋ねたら、
ヨルダン川の水は石油くさくて飲めない、
地下水を使っているとの返事だった。
ネボ山を後に死海に向かう。
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死海に向かう道路 |
死海への標識 |
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死海に入る前に昼食を摂ることし、マリオットホテルに入った。
閑散としている。こ
れは平日だからとのこと、休日はサウジの人たちがたくさん来てにぎやかになるとのことだった。 |
マリオットホテルの前にある
海抜−383mのプレート |
マリオット・ホテルのロビー |
国営の海水浴場。空いている。
真っ青な空。
向こうにイスラエルが見える |
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マリオットホテルのプール |
昼食で食べたクラブサンド、とにかく量が多い。 |
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死海の水は生温かい、そして少し粘りけがある。
死海では泳がない、というより泳げないというのが正確である。
下手に泳ぐとひっくり返って海水が目に入ってしまう。
これはとんでもないことになる。 |
泳いでいる人はいません |
確かに浮かんでいます |
現地の方は泳がないようです |
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海岸は石ころが多く、サンダルを持ってくればよかったのにと思った。
少し沖に出ると下は砂地、岸近くは泥で気持ちが悪い、すくい取ってパックをしている人もいた。
死海の泥パックは有名なはずだ。
あまり浮かんでいると沖に流されてしまうので要注意だ。 |
死海の泥でパックしています |
監視所、ヨルダン軍の兵士が死海を監視している |
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途中で時間があるので死海土産を売っている店に立ち寄った。
まあこれだけ死海土産を集めたものだ。
死海の塩、パック、石けん(肌に合わせて何種類も用意されていた)等々・・・。 |
コーヒー豆をすり潰す道具。
見ていたら店員が民族衣装を着て実演を始めた。
民族楽器として使うとのことである。 |
死海土産の塩 |
死海の塩石けん、肌に合わせて数種類 |
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夕食と明日の朝の朝食もホテルで自炊しようということになった。
明日はペトラに出かける時間が早い、それと少し胃を休めるためだった。
アンマン市内のスーパー(Safeway)に立ち寄った。
斜行エスカレーターがあった。歩く歩道の斜めバージョン、
確かにショッピングカートで上がるときは便利がいい。
近代的なスーパーでほとんどのものがそろっている。
ただハムを買おうとしたが品数は少なかった。
サラミがあったので買ったが少し値段は高いようだった。 |
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ホテルに帰るまでにダマスクスのアイスクリーム屋の話をしていたら、
運転手のサラさんがアンマンにもおいしいアイスクリーム屋があるという。
彼のおごりでアイスクリームをごちそうになることになった。
ハーゲンダッツよりあっさりした味だったが、特に特徴を感じる味でもなかった。
アイスクリームの味も万国共通になりつつあるのが残念だった。 |
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