12月7日(土) 2日目 |
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ニース(Nice) フランスの南東部に位置する都市で、アルプ=マリティーム県の県庁所在地である。 プロバンス語(ニサール語)ではニッサ(Nica、Nissa)、イタリア語ではニッツァ(Nizza)という。 地中海・コート・ダジュールに面する、世界的に有名な保養地・観光都市である。 1804年、ニースの住民は住民投票によってフランス帝国への帰属を決定したが、1815年パリ条約によりニースはサヴォイア公国に割譲された。 サルデーニャ王国はイタリア王国の成立をフランスに承認してもらうため、1860年再びニースはフランスに割譲された。 ニース出身の武人でイタリア統一戦争で活躍したジュゼッペ・ガリバルディは激怒した。 その後もイタリアによるリソルジメント・失地回復の目標にされたが、フランス領のまま現在に到る。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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朝から快晴、さすがに時差ぼけで朝早く目が覚めてしまった。 しかし、まだ外は真っ暗。 朝食を摂って、ニースの朝市の観光に出かけた。 |
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この海岸線を天使の湾Angel Coast(Baie des Anges)と呼ぶ |
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言い伝えによるとこの湾で採れるサメのひれが天使の羽に似ていたからだということ。 このサメは目玉模様の海の天使と言われる。 |
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1793年にニースがフランスに併合された、その100周年を記念して1892年に造られた銅像。 ニケの宣誓姿で忠誠心を示しており、大理石部分はニースをフランスに与えるアレゴリー(寓意)である。 1914年この公園は第一世界大戦時のベルギー王のアルベール1世( Albert Ier1875- 1934)のドイツとの果敢な戦いをたたえ、アルベール1世公園と命名された。 アルベール1世(Albert Ier) ドイツ軍がベルギーの中立を犯して領内の通過を実施すると、「ベルギーは道ではない。国だ」と述べ、同時に「結果はどうであろうと、拒絶する。我々(王族と軍人)の義務は国土を守りぬくことだ。この点で間違えてはいけない」と閣議で語って、ベルギーを守ることを最優先とし、ドイツ軍の侵攻に根気強く反抗した。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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旧市街を散策して花井市で自由行動となる。 市場の中をぶらついてみた。 |
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ニースの花市場、花だけでなく食材も売っている |
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ネグレスコ(Negresco)ホテル ベル・エポック様式の外観で、ルイ13世様式とアールデコ調の内装の客室が有名。 このホテルを建てたアンリ・ネグレスコの名前をとってネグレスコホテルと名づけられた。 ングレスコはルーマニア人で15歳の時パリに行き、その後ニースに住んだ。ニースのカジノに来る金持ちを泊めるためにこのホテルを建築した。 ベル・エポック(良き時代) 厳密な定義ではないが、主に19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までのパリが繁栄した華やかな時代、及びその文化を回顧して用いられる言葉である。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 ホテル ル メリディアン ニース(Le Meridien Nice) 屋上のホテルのネオンが特徴の白い建物、屋上にプールがある、アメリカンスタイルの4つ星ホテル(高級)。 アメリカンスタイルが気に入らない人はヨーロッパ調のネグレスコホテルを使うらしい。 |
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パレ ドゥ ラ メディテラネ Hyatt Regency Nice Palais de la Mediterranee 外観がアールデコ様式になっている |
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アール・デコ(Art Deco) 1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開いた。 博覧会の正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels modernes)、略称をアール・デコ博といい、この略称にちなんで一般に「アール・デコ」と呼ばれるようになった。 また「1925年様式」と呼ばれることもある。 キュビズム、バウハウスのスタイル、当時発掘が相次いだ古代エジプト美術の装飾模様、アステカ文化の装飾、日本や中国などの東洋美術など、古今東西からの様々な引用や混合が指摘されている。 アール・ヌーヴォーは植物などを思わせる曲線を多用した有機的なデザインであり、大衆に消費された装飾でもある。富裕層向けの一点ものが中心となったアール・ヌーヴォーのデザインに対し、アール・デコのデザインは大量生産とデザインの調和をも取ろうとした。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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ニースのフランスへの併合150周年を記念して製作された。 記念碑の九つの柱はニースの郡を形成している九つの谷を表している。 128トンのコンクリートの台座に重さ54トン、高さ30mの斜めに向かって空に伸びる鋼材の柱で作られている。 この記念碑はケデEtats-ユニスにあり、この場所はニース市の歴史的中心部で海への出口であり、国際的な開放性を象徴している。 |
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ニース 動画 |
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ニースの町をさっと見てエズに向かった。 エズ(Eze) フランス南東部コート・ダジュールの街。 ニースとモナコの中間に位置し、多くの観光客が訪れる。 自転車ロードレースのパリ〜ニースでは大会の終盤でほぼ毎年この街を通過する。 エズはフランス地中海の上方の標高427mに位置する高い崖を見下ろす場所にあるため、「鷲の巣 (eagle's nest)」と言われる。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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12.1km ニースからエズ |
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冬なので、南仏といえども天気が悪いと思っていたが。快晴だった。 地中海の海の色がきれいだった。 |
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エズの鷲の巣村については思ったほど大したことはなかった。 ちょっと期待はずれ・・・ |
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エズ村 動画 |
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添乗員さんの言うほど登るのはきつくない。 普通の靴でも大丈夫。 大分、重装備の靴を用意された方もいました。 |
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ニース風サラダとはゆでたじゃがいも、さやいんげん、トマト・オリーブ、ゆで卵・アンチョビー・ツナなどを材料としてフレンチドレッシングで和えて作るサラダのことらしい。「サラド・ニソワーズ」ともいうらしい。 要するにミックスサラダではないのか・・・。 サラダ(英語: Salad、フランス語: Salade) 野菜などに塩、酢、油、香辛料などの調味料をふりかけるか、和えて盛りつけた料理の総称。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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エズにはニーチェの道(Niezche)と呼ばれる坂道がある。 彼の著書の「ツアラトゥストラはかく語りき」 4部作のうち、第三部をニースに滞在して書いた。 その際、ニーチェはエズを頻回に訪れ。この道を登りながら、作品の着想を得たそうだ。 それでこの名前がついたということである。 |
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エズからモナコに向かった。かなり近い。 あまりモナコは見所がない。 モナコと言えばタレントのデユーク・更家が住んでいるところだ。 |
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エズからモナコ 8.5km |
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モナコ公国 通称モナコは、西ヨーロッパの立憲君主制国家。都市国家であり、首都モナコ市がそのまま全領土となる、世界で2番目に小さいミニ国家で、国連加盟国の中では世界最小である。 フランスの地中海沿岸地方コート・ダジュールのイタリアとの国境近くに位置する。 カジノやF1モナコグランプリ、WRC・ラリー・モンテカルロが開催されることで知られる。 モナコという地名は、現在のモナコの近隣に6世紀にあったポカイア人の入植地の名に由来する。 その地はギリシャ語で「一軒家」を意味するMonoikosと呼ばれていた。 ギリシア神話では、ヘラクレスが現在のモナコの地を通りかかり土地の神々を退散させたとあり、それに因んで1つの神殿が作られた。 その1つの神殿が「一軒家」に転じ、地名が生じた。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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コート・ダジュール(フランス語: Cote d'Azur) フランス南部に所在する、風光明媚な保養地として知られる海岸。 ふつうトゥーロンを西端、イタリア国境を東端とする地中海沿岸の一帯を指す。 「リヴィエラ」と総称される海岸リゾート地の西側(フランス側)にあたり、英語ではフレンチ・リヴィエラ(French Riviera)とも呼ばれる。 日本語では Cote d'Azur を訳した紺碧海岸の名でも呼ばれる。 |
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モナコからニース 19.5Km |
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モナコ湾 |
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モナコ大公宮殿Palais Prinscier |
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大公宮殿の反対側 |
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グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly、1929年 - 1982年) モナコ大公レーニエ3世妃、アメリカ合衆国の元女優。 同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちたそれが「クール・ビューティー」(cool beauty)と賛美された。 人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主と結婚し女優業から引退した。 1982年9月13日、自らハンドルを握りローバー3500を運転して南仏のロックアジェルの別荘からモナコに戻る途中に脳梗塞を発症。 そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突し、道路横の崖を40メートルほど転落して自動車は大破した。 事故後すぐに病院へ搬送されたが意識が回復しないまま翌日に死亡(52歳)。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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クストーとモナコ ジャック=イヴ・クストー(Jacques-Yves Cousteau, 1910年 - 1997年)は、フランスの海洋学者。 潜水用の呼吸装置スクーバ(商品名:アクアラング)の発明者の一人として知られる。水中考古学を始めた人物でもある。 調査船カリプソ号で海やそこに住む生物の研究を行う一方、それを書籍、記録映画にして一般への啓蒙活動も行った。 日本では、1970年代から1980年代にかけてのテレビドキュメンタリー番組『驚異の世界・ノンフィクションアワー』(日本テレビ系列)で放送された、自身も出演する『クストーの海底世界』シリーズでつとに知られる。 1957年、海軍大佐で海軍を退役し、モナコ海洋博物館長に就任。 引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 |
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モナコ 動画 |
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エズからニースにもどり、再度ニースのマセナ広場Place Massenaのクリスマスマーケット出かけた。 かなり、賑やかで日本の夏の夜店のような雰囲気だった。 |
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ホテルに戻ったが今日も夕食なし、近く大型ショッピングモールがあるということで、ホテルからワゴン車の送迎車で出かけた。 スーパーでサンドイッチでも買ってきて食べることにした。 |
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ショッピングモール Cap3000(引用Google Map) |
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ショッピングモールにはラファイエット、スーパー、フードコートがあった。 フードコートで食べようかと思ったが、時間がないので止めた。意外とにぎやか |
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スーパーでサンドイッチと飲み物を買った。 帰りの送迎ワゴン車を待っていたが予定時間を過ぎても来ない。 付いてきてくれた添乗員さんがしびれをきらしてホテルに電話をかけてくれたらほどなく車が現れた。 待っている間、寒かった。 しかし、ヨーロッパのサンドイッチはなんでゴワゴワのパンを使うのだろう。 日本のような軟らかいパンを使ったほうがおいしいのに。 |
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