フランス周遊10日間
12月11日(水) 6日目
 
 
12月11日(水) 朝:ラ・ロシェルへ。
昼食後は大西洋に面した港町ラ・ロシェルの散策をお楽しみ下さい。
その後、モンサンミッシェルへ。
モンサンミッシェル
デラディーグ
DE LA DIGUE

ボルドーからラ・ロシェルへ 185 km、1 時間 53 分
 途中のドライブインでコーヒーを飲もうとした。
レジで注文したら右のプラスチックの小さな箱とカップをくれた。
それをコーヒーマシンに挿入したらコーヒーが出てきた。
小さな箱にコーヒーの粉が入っている。ネスプレッソのような機械だ。
ラ・ロシェル(La Rochelle)
フランス西部、ポワトゥー=シャラント地域圏の都市である。
シャラント=マリティーム県の県庁所在地。
マリティームは「海洋の」の意。
1999年の人口は約7万6千人。
10世紀以前にはラ・ロシェルの名は文献に登場しないが、大西洋への交通の要路に位置し、海港として繁栄した。12世紀には都市特権を得た。
1293年にイングランド軍などの襲撃を受けた。
このことは、イングランドとフランスの関係を悪化させ、翌年からのギエンヌ戦争(ギュイエンヌ戦争)を導く背景になった。
近世に入ると、プロテスタントの牙城となったため、カトリック勢力の激しい攻撃を受けることになった。
ルイ13世治下、1625年に宰相リシュリューによる攻撃が行われ、プロテスタントの王国であったイングランドはラ・ロシェルを救うために大艦隊を派遣した。
リシュリューは「ラ・ロシェルの包囲し、1628年に同市を陥落させた。
アレクサンドル・デュマの小説『三銃士』では、主人公ダルタニャンと三銃士がこの戦いに参加している。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
 
港の向こうに大時計門が見える

右:サン・ニコラ塔Tour St Nicolas
左:シェーヌ(鎖)塔Tour de la Chaine 

旧港の中
シェーヌの塔(右)は火薬庫として使われた
 イギリス艦隊を湾内に入らせないために、この二つの塔の間に鎖を通した。
 
ランテルヌの塔
大時計門Porte de la Grosse Horloge 

市長ジャン・ギィトンJean Guiton

ナポレオンV世の銅像
フランス国内のカトリックとプロテスタント(ユグノー)の内戦をユグノー戦争(1562年 - 1598年)という。
戦争は決着がつかず、フランス王アンリ4世のナント勅令によってフランスのプロテスタントに特権が与えられた。
ラ・ロシェルはプロテスタントの拠点となった。
1610年にアンリ4世が暗殺され、ルイ13世が即位し、親カトリック政策をとった。
そのためプロテスタントのラ・ロシェルはカトリックのフランスと敵対することになる。
プロテスタントのイギリス王チャールズ1世は1627年6月バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズ率いる艦隊をラ・ロシェルの反乱軍支援のため派遣した。
それに対してフランスのリシュリー・枢機卿は1628年にラ・ロシェルを攻略した(ラ・ロシェル包囲戦)。
ラ・ロシェル包囲戦でラ・ロシェルジャン・ギトン市長は14ヶ月間徹底抗戦したが、陥落した。
包囲戦でラ・ロシェルの人口は2万7000人から5000人に減少した。
※リシュリー枢機卿は三銃士に出てくる悪役。

枢機卿(ラテン語: Cardinalis、英: Cardinal)
カトリック教会における教皇の最高顧問である。
重要な案件について教皇を直接に補佐する「枢機卿団」を構成すると同時に、個々の枢機卿は、教会全体にかかわる日常的な職務について教皇を助ける。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細

リシュリー枢機卿(Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 1585 - 1642年)
カトリック教会の聖職者にしてフランス王国の政治家である。
1624年から死去するまでルイ13世の宰相を務めた。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
ナポレオンV世
フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの弟ルイ・ボナパルトの息子。
フランス第二共和政の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝(在位:1852年 - 1870年)。
本名はシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトであり、皇帝に即位して「ナポレオン3世」を名乗る以前については一般にルイ・ナポレオンと呼ばれている
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
ナポレオンV世の時代にラ・ロシェルではフランス海軍の軍艦が建造されていた。

サン・ルイ大聖堂St-Louis(工事中)

私を助けてください メリークリスマス(NOEL)
 
花市、正面に市場Marcheが見える

昼食のレストラン”La Bistrot de Meme”
ラ・ビストロ・ド・メーヌ

レストラン正面
ちょっと妙な雰囲気のレストランへ案内された。
ゲイの人たちがよく集まるレストランで経営者もゲイとのこと。
料理はまあまあで悪くはない。

レストランの看板

従業員も女装?

サーモンのサラダ

天井に女性の着物がつるされている
 従業員はおかまで少し気持ち悪いが料理はうまかった。

デザートはしゃれている

 この車のナンバープレートANDORRA,アンドラ公国、織田裕二主演の『アンダルシア女神の報酬』のロケ地
ラ・ロシェルの市場を見物しました。
港が近いので魚屋さんが多いようでした。

田舎風パテ(パテ・ド・カンパーニュ)
豚ミンチの中にレバーペーストを混ぜ込んで焼いたもの

ホタテ貝?

タニシか?

牡蠣

ムール貝

チョコレート屋さん

パテを売っている店が多い
ラ・ロシェルの港にあるボイヤール要塞はアランドロンとリノバンチェラの主演した映画『冒険者たち』のロケに使われている。

ボイヤール要塞
 
ラ・ロシェル 動画
ラ・ロシェルを後にして、モンサンミッシェルへ向かう

ラロシェルからモンサンミッシェルへ

泊まったホテルの場所(Google Map) 
ルレ・サン・ミッシェルのほうがモンサンミッシェルがよく見える

今晩、泊まるホテル デラディーグ DE LA DIGUE
ルレ・サン・ミッシェルよりは格落ち

2002年9月に泊まったホテル
ルレ・サン・ミッシェルが向かい側に
看板の”R”の棒が消えていて”P”になっている
ルレ・サン・ミッシェルにはJTBの学生の研修旅行(?)の団体が泊まっていた。
夕食はホテルの食堂で食べた。
受付の女の子が今日が誕生日とのことで、みんなでハピーバースデーの合唱。
夕食が終わった後、夜のモンサンミッシェルを見物に出かけた。
堤防を取り除き、橋にする工事と土砂の流れ込みを防ぐダム工事(完成)で一般車乗り入れ禁止。
シャトルバス(無料)が深夜まで 運行されている。
夜間照明の中のモンサン・ミシェル 

寒かったがモンサンミッシェルの夜景はすばらしい

よく晴れていて月が見えていた

さすがに人通りは少ない

ネコがうろついていた
 
夜のモンサンミッシェル動画
ホテルのバスの給湯能力が悪い、ツアーの客で入っている最中にシャワーが水になって困ったと言っていた。
こちらもシャワーが水なので少し遅い目にバスを使ったら湯が出た。
明日はモンサンミッシェル観光と花のパリだ・・・・