フランス周遊10日間
12月12日(木) 7日目
 
 
12月12日(木) 朝:モンサンミッシェルへ。
【世界遺産】モンサンミッシェル観光
(◎修道院)
昼食後、パリへ。
パリ泊
プルマンパリモンパルナス PULMAN PARIS MONPARNASSE
 
泊まったホテル デラディーグ DE LA DIGUE
モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)
フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島であり、同名の修道院がある。
モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」の意で、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みに由来する。
行政上はル・モン=サン=ミシェルというコミューンを形成する。
カトリックの巡礼地のひとつであり「西洋の驚異」と称され、1979年「モンサンミシェルとその湾」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、1994年10月にはラムサール条約登録地となった。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 

朝靄の中のモンサンミッシェル
早く写しておいてよかった。時間が経つにつれ、霧が出てきて見えなくなった。
 
左に見える橋が水門になっていて、土砂の流れをせき止めて掻き出すようになっている
 
水門の模式図、水門の橋の上が展望台になっている

モンサンミッシェルに向かう土手の道路
 
現在、橋の施設工事中でいづれは土手がなくなる。

観光バスは島には入れず、無料のシャトルバスが運行されている

このバスUターンの必要ないよう、前後に運転席がある 
   
今日は一転して天気が悪い、霧だらけ・・・
ちょっと幻想的だが、晴れていた方がよかった。 
 
建設中の橋

門を入ったところにある大砲 
 
モンサンミッシェル動画その1

島の中で一番細い通り
   
 
入り口付近にある教会

ジャンヌダルクの銅像 
   
修道院は3層になっているのが分かる
 
最上階の教会部

真ん中 
 
一番下 
   
   
   
モンサンミッシェルが現在の形になるまでの経過模型 
モン・サン・ミッシェルの初期は暗く陰気な修道院(ロマネスク様式)だった。
しかし、1212年にフランス国王フィリップ2世の寄進で当時の最先端のゴシック様式で増築が開始された。
16年後の完成時には広くゆったりした快適な生活空間となった。
     
塔の上にある聖ミカエルのレプリカ
塔のてっぺんにミカエルの像をヘリコプターでつり上げて設置した 
 この像は1897年建築家ヴィクトル・プティグランの要請で彫刻家のエマニュエル・フレミエが製作し、1987年に修復された。
ミカエル
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教へと引き継がれ、教派によって異なるが三大天使・四大天使・七大天使の一人であると考えられてきた。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においてもっとも偉大な天使の一人である。
ミカエルと堕天使サマエル(サタン)との争いという伝承が生まれた。
サマエルはもともと天使であったが天国から追放されて堕天使となったとされる。
サマエルが天国から突き落とされたとき、ミカエルの羽を押さえ込んで道づれにしようとしたが、ミカエルは神自身によって救い上げられたという。
英語の人名マイケル(Michael)、ドイツ語のミハエル、ミヒャエル(Michael)、フランス語のミシェル(Michel)、スペイン語・ポルトガル語のミゲル(Miguel)、 イタリア語のミケーレ(Michele)などは、この天使の名に由来する。
中世においてミカエルは兵士の守り手、キリスト教軍の保護者であった。
現代のカトリック教会では、兵士ではなく警官や救急隊員の守護聖人になっている
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細

食堂
両脇に59の小窓があり、明かり取りになっている

騎士の部屋
騎士の部屋は、もとは修道士たちの写本や細密画をする仕事場だった。
1469年の「聖ミカエル騎士団」結成後、「騎士の間」と呼ばれるようになった。 
※騎士団(Chivalric order)
十字軍時に設立された騎士修道会、及びそれを模して各国の王・貴族が作った騎士とその附属員から構成される団体である。
前者はローマ教皇によって認可された修道会の一種であり、構成員は修道士になることが前提となる。
後者は実際の軍事集団としてより、名誉・儀礼的な意味合いが強く、後にヨーロッパの勲章システムに受け継がれていく。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
 
回廊(5の部分)、13世紀初めに造られた 
中庭の四方を二重の円柱列で取り囲まれており、落ち着きがある空間である。
修道院の最上階にあり、修道士たちが休憩、瞑想にふける場所となっている。
この中庭には薬草が植えられ、それを使って巡礼者の治療ども行なっていた。

貴賓室

貴賓室にあるトイレ
当時のVIP待遇の人を接待する部屋でゴシック様式アーチ型の天井と葉型模様の装飾が特徴。

暖炉の跡

暖炉
これだけ広いと暖房も効きにくかっただろう
 
最上部の教会は十字型
モンサン・ミッセルの最上部の教会は十字型に造られている。
しかし土台は岩山で平らではないので飛び出た部分は土台がない。
そのため土台部分として礼拝堂を建てている   

土台部分の岩山の一部
モン・サン・ミッシェルのゴシック様式の修道院はその美しさから、「ラ・メルヴェイユ」(驚嘆)と呼ばれている。 
 
西のテラス

テラスの台の部分の石には文字が彫られている
石工の誰が納入したかを示し、代金支払いの元にするため
 
ラメール・プラールのクッキー
 
 
 
モンサンミッシェル動画その2

モンサンミッシェルからパリ 365Km 
パリへの到着が手間取らなかったので(少し渋滞はあったが)、シャイヨー宮(Palais de Chaillot)にバスを止めてくれて、エッフェル塔を見ることになった。
空には雲一つなく、月が見えていた。
エッフェル塔のサーチライトが鮮やかに線を描いていた。
以前、1月にパリに旅行したが、薄暗く曇って寒く、陰気な感じだったが、今日は大違いだった。 

エッフェル塔のサーチライトが月に
 
 
みんなやってましたので・・・
 
パリの夜景 動画
エッフェル塔(La tour Eiffel)
フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造されるべくコンペティションが開かれた。
ここで、ギュスターヴ・エッフェルほか2者の案が採用になった。
設計者がステファン・ソーヴェストル、モーリス・ケクランとされたり、エッフェルは工事を請け負ったにすぎないとされたりするが、当時ソーヴェストルとケクランは、2者ともエッフェル社の社員で、エッフェルとともにコンペに参加していた。
最終的にはエッフェルが著作権者となり、この塔の名前の由来になった。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細》 
 
 今日の夕食はエスカルゴとのこと、10年くらい前に一度だけ食べたことはあるが、印象はニンニクとバジルの味だけだった。

シェ・クレマン Chez Clement
 この店はパリに10軒ほどあるチェーンレストラン

店内には鍋がたくさんぶら下がっている

エスカルゴ

ビーフシチュー?+マッシュルルーム 

デザート 
エスカルゴ(escargot)
フランス語でカタツムリを意味する語。
日本では、通常カタツムリそのものを指すのではなく、エスカルゴを用いたフランス料理を意味する。
通常は前菜として食卓に供される。
普通、複数個で供されるため、メニューにはles escargots(レゼスカルゴ)と複数形で書かれていることが多い。
食用カタツムリとして流通しているものはほとんどが穀物などの飼料を与えて養殖したものである。
殻から取り出し内臓を除去した後に加熱され、パセリとニンニクのみじん切りを練りこんだエスカルゴバターと呼ばれるバターソースを絡めるのが最も一般的である(エスカルゴバターにはエシャロットのみじん切りを混ぜる場合も多い)。
引用:フリー百科辞典WIKIPEDIA《詳細
 夕食が終わった後、ホテルに向かう。
今日と明日の2泊はプルマン・パリ・モンパルナス、かなりりっぱなホテル(大阪のリーガ・ロイヤルのような感じ)
 
  ホテルの向かいはモンパルナス駅、近くにスーパーのモノプリがある。
地球の歩き方ではモノプリの閉店は22時だが、行ってみたら閉店は20時45分だった。
5分前だったが入れなかった。
もう1つ小さなスーパーがホテルのならびにあり、遅くまで営業していた。
 
ホテルのロビー、ラウンジの音楽がやかましい

プルマン・パリ・モンパルナス

ホテルのフロント
 
ホテル室内
 
エレベーターボタン、1階が0階
Aという変なボタンがある。

モンパルナスタワー
 
ホテルの近くにあるジャズ・レストラン
ル·プティ·ジャーナル Le Petit Journal
有名なようです

ホテルの向かい側のモンパルナス駅

スーパー モノプリ
 モノプリはフランスの”ダイエー”のようなスーパーチェーンのようです

モノプリのエコバッグ
フランス語のロゴがしゃれている。広げると意外に大きく使いやすい。
”J'ADORE, LES COLRSES EN, SAC”ジャドーレ・クルセゾン・サック
自動翻訳では『私はショッピング・バッグが好きです』と表示されました。 
『エコ・バッグ』と言っても通じませんでした。
『サック』と言うのだとモノプリの店員さんに言われました。
確かにフランス語でバッグは『SAC』と言うようです。