マルタ島7日間
2011年6月7日(火) 8日目
8日目 6月7日(火) 午前:デルフィへ。
【世界遺産】デルフィ観光
◎デルフィ遺跡、
◎デルフィ博物館

午後:◎【世界遺産】オシオス・ルカス修道院へ。
♪♪途中、崖の上にへばりつくように建てられた町アラホバの絶景をお楽しみ!!♪♪
【宿泊地:デルフィ泊】NAFSIKA PALACE
ナフシカ・パレス

朝ホテルの中庭からメテオラ方向
バスの運転手さんは日本びいきで少し、サービス過剰気味。
日本以外の団体ツアーは時間を守らないので運転手さんには不評とのことです。
昼食を先に済ませてからデルフィ遺跡の遺跡の見学になりました。

昼食のレストラン『バッカス(VACHOS)』

内部

ジャガイモと?、これは意外といける。

ギリシャ風肉団子(上)?
どうみても日本のハンバーガーのようですが・・・。
野菜サラダはやはり、ニワトリのえさ様の切り方

レストランのベランダからの眺め

デルフィ遺跡(Ancient Delphi)
デルフィ遺跡は1829年フランスの考古学者によって発掘された。
デルフィ
 デルポイ(古典ギリシア語:Δελφοι, Delphoi)はギリシア本土、パルナッソス山のふもとにあった古代ギリシアの都市国家(ポリス)である。
日本語では「デルフォイ」と呼称されることも多い。
「デルフィ」は英語および現代ギリシア語読みに基づく表記である。
現在は遺跡となっており、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
デルポイの遺跡は、アポロン神殿を中心とする神域と、都市遺構からなる。
神域に隣接して、有力な各諸都市の財産庫も築かれていた。
           引用:フリー百科事典Wikipedia【詳細】

石像を剥ぎ取った後の足の部分

ヘソ石(オンファロス)
デルフィの神託と言われるように、巫女さんがお告げを神官に伝えていた。神殿の地下から微量の有毒ガスが出ていて、それを吸い込んだ巫女がトランス状態になり、わけの分からないことを言い出す。それを神官が適当に解釈してお告げとして伝えていたようである。
日本の宇佐八幡宮のようなものである。
ローマ人が複製を作って置いていたもので、
本来は神殿の中にあった。(右図参照)
【アポロンの神託】
古代ギリシャ人にとってデルフィでのアポロンの神託(おつげ)は抜群の予知能力として知られ、ギリシャ各地から人々が神託を受けにやって来た。
そして、神託の感謝の印としていろんなものが奉納品として寄進された。それらがアポロン神殿にの参道に収納する宝庫や像が建てられた。
紀元前6世紀頃に一番盛んとなり、その後紀元前5世紀頃から衰退し、381年ローマ皇帝テオドシウス(キリスト教を国教とした皇帝)によって禁止され、デルフィは破壊された。

後ろの柱の上に像があったが、切り取って持ち去られた
ローマ人が遺跡にあったものを略奪していったため、地震で埋まった遺物がかろうじて残ったようです。
ガイドさんの日本語がどうも分かりにくいのが欠点。
やはりネイティブでないと微妙なニュアンスが表現できないようです。

アテナの聖域

右に拡大画像

石に刻まれた文字

石はこんな風にして船で運んできたらしい

もともとこの遺跡の上には村があった。
別の場所に移転させて発掘が行われた。

アテネ人の宝庫athenia Treasury
紀元前490年〜485年
1903年〜1906年にかけ復元された。

復元図
アテネ人がマラトンの戦い(紀元前490年)でペルシャに勝利した記念に奉納された。
南側の壁に「アテネ人は、マラトンの戦いにおけるペルシアからの戦利品としてこれを捧ぐ」と刻まれている。
柱はドリス式で、柱が壁の内側に造られているのがこの建物の特徴でインアンテス式と呼ばれる。

6つのレリーフ(壊れているのでよく分からない)、この部分をメトープという。
このメトープにはテセウスの偉業とヘラクレスの試練が描かれている。

南側の9つのレリーフ、これもよく分からん・・
【ヘラクレスの試練(ギリシャ神話)】
ゼウスとミケーネの王女の間に出来た子供がヘラクレスで、嫉妬したゼウスの妻ヘラに命を狙われる。
ヘラクレスは怪力でその難関を切り抜けたが、ヘラはヘラクレスにある呪いをかける。
ヘラクレスは成長して立派な戦士になり、結婚して子供も出来たが、ヘラの呪いのため異常を来し妻と子供を殺してしまう。
その後、ヘラクレスはその罪を償うため、12の試練を受けることになるが、すべてクリアする。
【テセウスのミノタウロス退治(ギリシャ神話)】
テセウスはアテネ王アイゲウスと、トロイゼン王女アイトラとの間に生まれた子供。
クレタ王のミノスはクレタ島の迷宮に牛の頭と人の体を持つ怪物ミノタウロスを閉じ込め、毎年アテネから生け贄を捧げるよう強要していた。
これに反抗してテセウスは生け贄の中にまぎれこみ、ミノタウロウス退治にクレタ島に乗り込んだ。
ミノス王の娘アリアドネは、テセウスに一目ぼれし、彼に自分を妻にすることを条件に迷宮から脱出する方法を教えた。
迷宮でミノタウロスを退治し、迷宮から脱出し、アリアドネを連れてアテネに向け出航した。
しかし、途中でナクソス島に寄ったとき、アリアドネをその島に置き去りにした。
悲しんで泣いているアリアドネの前に酒神ディオニュソスが現れて慰め、彼女を自分の后にした。
デイオニソスがアリアドネに贈った冠が、天に昇って星座のかんむり座となった。
テセウスが父王と約束したアテネに戻ってくるときの合図を間違え、テセウスが死んだと思った父王は海に身を投げて自殺する。
その海が父王の名をとってエーゲ海と名付けられた。
アテネもどったテセウスは、王位につき、アテネの民主政治の基礎を作り、善政を行い、人民から信頼を受けた。

アポロン神殿(Apollon)

復元図
巫女からお告げを聞く神官

古代の劇場
博物館の閉館時間の関係で博物館見学の後に遺跡見学となりました。

デルフィ博物館

青銅の御者像
紀元前478年にシチリア島のポリザロスが奉納したものとされている。
この青銅の御者像は紀元前373年の大地震でがれきとともに埋まった。
自然災害によって遺物が破壊や盗掘から免れていた例である。
青銅像の他の部分は第三次神聖戦争(紀元前356〜346)(古代ギリシャで聖域の権益をめぐって戦われた)で略奪された。
1896年の大規模な発掘で発見された。

スフィンクス

復元図
ギリシア神話のスフィンクスはエジプトのとは少し違い、体はライオンで羽を持ち人間の女性の形態をしている。
子供をさらっていく怪物で、戦いでは死を見守り、高い知能を持ち、謎解きが好きである。
オイディプスのギリシャ神話では旅人に「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何?」という謎を出して間違えると旅人を食べていた。
オイディプスに「人間だ」と正解され、退治された。

大地のヘソ(一種のパワースポット)

アルゴスの英雄達(有名なアルカイック・スマイル)
一対の典型的な大理石のクーロス像、アルゴスの神話にある2人の英雄の彫刻であろう。
アルゴスの工房の古代の作品で、およそ紀元前580年の作。
大地のヘソomphalos(ギリシャ語)(大理石製)はアポロ神殿の北東で発見された。
これは聖域内に建てられていた複製と思われる。
聖域は巫女を介して予言が与えられる場所である
このヘソはヘレニズムかローマ時代の複製と考えられている。
表面のレリーフは羊毛のネットを表している、もともとはヘソは聖なるものとして包まれていた。
神話によると大地のヘソは地球の中心部を表し、ゼウスによって放たれた2羽の鷲が出会ったところである。
古代ギリシャ人の世界観では地球は平板な円盤と考えられていた。
その中心部がデルフィで重要な位置であるとしていた。
大地のヘソ(オンファロス)はデルフィのアポロ神殿の地下に安置されていた。一種のパワースポットのようなものであった。

神の側近の女性(Thyiad)

アポロ神殿のペディメント(pediment:三角形の切り妻壁)
詩によればThyiadはパルナサス(Parnassus)山で踊りを踊る。

アポロ神殿の正面上部の大理石彫刻
らせん模様がライオン頭(雨樋の噴出口)で中断している

復元図

フリーズ(装飾した横壁)東面にある神々の集合の場面。
トロイ人を守護する神達(アレス、アフロディーテ、アルテミス、ゼウス)が豪華な椅子に座っている。(@)

@拡大
アキレスの母テティスがゼウスの膝に触れて彼女の息子の安全を祈願している。(この部分は失われている)
ギリシャ人を守護する神達(アテナ、ヘラ、デメテル)が右側に座っている。(A)

A拡大
それから、少ししてトロイの戦いの話がスタートする。
トロイの戦士(左)がギリシャ人(右)と戦う。

B拡大
ギリシャ軍の老武将ネストルがギリシャの戦勝を懇願して場面が終わる。

ディオニソス
アポロ神殿の西のペディメント(三角形の切妻壁)
紀元前330年頃、アテネの彫刻家PraxiasとAndrosthenesの作
ディニソスはチュニック(ワンピースのようなもの)を着て腰にベルトを締めている。
マントをゆったりと肩に掛けている。頭にミトラという典型的なヘアーバンドをしている。
左手にはチタラ(竪琴)を持っており、音楽の神様のアポロと同等の扱いをしている。
アポロとディオニソスを同じ神殿に彫刻していることで両者の調和を図っている。
Thyiads(神の側近の女性)の間にディオニソスが立っている。Thyiadsはパルナッソス山で踊りを披露する。

ホワイト・ラウンド・キュリックス
(二つの大きな取手のついた平皿の杯で
下に脚台がついている)
紀元前480〜470年頃の製作

竪琴を弾く、アポロ
デルフィの墓地で見つかったもので白地にアポロが描かれている。
アポロはギンバイカのリースを王冠のように付けている。ペプロス(古代ギリシャの女性が着ていた長衣)とゆったりした赤いヒマティオン(古代ギリシャのワンピース型の上着)を着て腰掛けに掛けている。
左手で竪琴の弦に触れ、右手でフィアーレ(献酒の容器)でぶどう酒を差し出している。
【白いカラスが黒くなった神話】
 フレギアス王の娘コロニスはアポロの恋人の1人だが、エラツスの息子イスキスと恋に落ちた。
そのことを黒い鳥(おそらくカラス)がアポロに密告した。アポロは妹のアルテミスを差し向け、コロニスを殺害した
カラスはもともと白い鳥だったが喪に服して黒くなったという。
※ギンバイカ:ビーナスの神木とされている。 
アギオス像(アクロニオスの息子)
 ダオコスU世のの祖父で紀元前5世紀頃のパンクラテオン(レスリングとボクシングを合わせたような競技)のチャンピオンである。
運動選手の理想的な彫像である。出来映えと作品の類似性からリュシッポス(Lysippos:紀元前4世紀頃のギリシャの彫刻家)の作と考えられている。
彼の故郷のテッサリアに建てられた青銅像の大理石による複製と思われる(紀元前335年頃の作)

カリュードンのいのしし
ギリシャ神話ではマイトリアのカリュートン王オイネウスはアルテミスへの生け贄を忘れ怒りを買う。アルテミスはどう猛ないのししを解き放ったため家畜や人が殺された。王はギリシャ全土からいのししをやっつけるため勇士を招集した。しかし、最終的にこのいのししを仕留めたのは王の息子のメレアグロスであった。しかし、彼はこの手柄を自分の叔父にゆずったが、叔父同士が自分の手柄にするため争いが起こり、メレアグロスが叔父達を殺してしまった。母親のアルタイアーは自分の兄弟を殺されたことに恨みを持ち、メレアグロスに呪いをかけた。そのためメレアグロスは敵との戦いの最中に殺された。
(ギリシャ神話は辻間の合わない話が多すぎる・・・・)

青銅の盾(奉納品)

青銅製のヘルメット 紀元前6〜7世紀
東洋の影響が見られる。同様のものがクレタ島のイデアの洞窟で見つかっている。 およそ紀元前700年頃
部分的に修復されたトロス(円錐形の屋根の付いた円形の建物)のドリア式の柱のエンタブチュア(長押:なげし)、中に4つのメトープ(フリーズの中の四角の部材)が見られる。保存状態が悪いのは古代の後期に建築材として使ったり、レリーフを外したりしたためである。

暴れる馬と馬に乗ろうとする裸の戦士

ケンタウロスが女を誘拐している?

アテナ・プロナイア遺跡の聖域から発掘された円形祭壇
祭壇の周りには12人の若い女性像が彫刻されている。聖域での音楽祭や演劇の準備の典型的な場面を示しているものと考えられる。

アンティノウス(Antinoos
皇帝ハドリアヌス(第4代ローマ皇帝 在位:117〜128年)に取り巻きとして寵愛された(愛人)。
18歳頃にナイル川で溺死した。その死を悼み、ハドリアヌスは神格化したため、多くの像が製作された
踊り子達の円柱
 修復後の推測では神殿の正面の多くの奉納物の中に立っていたと考えられ、高さは13mくらいあった。
花びらのようなものはアカンサスの葉である。
その上に3人の若い女性が透明のキトンを着てかご状の頭飾りをしている。
左手で服の裾を握り、右手でブロンズ製の三脚の大釜を持っていた。
女性はデイオニソスに仕える女性、メナード(Maenad)と考えられているが、アテネの伝説の王ケクロプス下半分が蛇、上半分が人間)の娘達という説もある。
台座の碑文によればこの彫刻は紀元前330年頃アテネが寄進したものである。

哲学者とその家族(奉納品)紀元前270年頃

古代の楽譜

現代の楽譜に置き換えたもの
デルフィを見学後、オシソルカス修道院に向かった。
途中でアラホバの町で休憩。
アラホバはリゾート地として有名である。定住人口は3300人でパルナッソス山麓の標高800〜1100mの丘の斜面に家が建てられている。
アラホバの名前はスラブ語に由来し、”アラ(ara)”と”ホバ(hova)”はくるみの木を意味する。そのほか”ラホバ(Rahova)”がギリシャ語の”Rachi”と”Vio”の二つを組み合わせたもので”山の丘に住む人たち”を意味するという説もある。
アラホバはデルフィ遺跡、パルナッソス山(2500m)スキー場、イテアのビーチリゾート、オシオス・ルカス修道院にも近く、リゾート地として知られている。

山の裾野に広がるアラホバの町(遠景)

拡大


アラホバの町

オシオス・ルカス修道院
オシオスルカス修道院《Hosios Loukas》は10世紀頃聖ルカによってデルフィ郊外の風光明媚なヘリコン山の斜面に建てられた。
ユネスコの世界遺産に登録されている。
ギリシャ語でオシオス(Hosios)とは”尊い”、ルーカス(Loukas)は”聖ルカ”のことである。
聖ルカは953年2月7日に亡くなり、彼の遺物がこの修道院に納められている。
聖ルカは皇帝ロマノス(東ローマ帝国皇帝:在位920-944年)のクレタ島征服を予言したことで有名である。

使徒の足を洗う(洗足)キリスト
最後の晩餐の前にキリストが弟子の足を洗ったという聖書の話
洗足(せんぞく)というのをインターネットでみてみたが、要するに使徒(弟子)と師には上下の関係がないという意味らしい。
使徒の中でペテロだけが洗わないでくださいと言ったそうだが、キリストはそれでは師弟の関係がなくなると答えた。
そのときのペテロの返事がおもしろい、『それでは顔や手もお願いします』と言ったのこと、いつの世にも先生の考えが理解できない人がいるようです。

パントクラトール(pantocrator:全能者)キリスト
電池切れで携帯電話のカメラで写したので少し画像が悪くなりました。
オシオスルカス修道院を見学後、イテアに向かった。
イテアはコリンティアスコ湾に面したリゾート地でデルフィ観光の拠点である。

今夜の宿泊はイテア(ITEA)という港町でした
明日、アテネへ戻って日本へ帰るので夕食はギリシャの名物料理のタコとイカを食べてみることにした。
ホテルの右手はすぐ海岸でレストランが並んでいる。
どれでもいいかと適当なのに入ってみた。

MOURAGIOというレストラン(翌朝撮影)

egg plant(ナスビ)のサラダ
eggまで読んで卵のサラダと勘違い、
出てきたものはペースト状の異様なもの?
しかし、パンに付けて食べると意外とうまい。

スパゲッティ(ナポリタン)
船でカルボナーラと書いてあったあったが、
出てきたのはミート・スパゲッティだった。
ギリシャでは少し表現方法が違うのか?

ムール貝
これが食べたかったのだが、
少し冷えていてうまくなかった。残念・・・。

名物のタコ
よかったのだが、やはりタコは酢だこがいい・・

イカの唐揚げ
これもギリシャの名物料理だが、
日本のイカの唐揚げのほうがうまい。・
グラスワイン2つと上記の料理でチップを含めて50ユーロ(約6000円)だった。
まあ、まあか。
日本のイタ店ならもう少しましなものが食べられるかもしれないが海外での雰囲気代ということでがまんしよう。
支払いの時、VISAカードを出したら、『no sign. pin code』という、
初めなんのことか分からなかったが、サインではなくPINコード入力だけという意味だった。